SPORTIST STORY
BEACH SOCCER PLAYER
川口敬介
KEISUKE KAWAGUCHI
STORY

本気で戦う場所はビーチサッカー ピッチで感じた応援の近さ

サッカーよりも狭いピッチの中を、オーバーヘッドやバイシクルなどのアクロバティックなシュートが飛び交う。大音量のBGMが鳴り響く中、迫力満点のスピード感あるプレーで観る者を熱狂させるビーチサッカーは、2021年に行われたFIFAビーチサッカーワールドカップで史上初となる銀メダルを獲得するなど、今最注目の競技だ。今回話を聞いたのは、日本代表選手を多く有する『東京ヴェルディビーチサッカー』に所属する川口敬介選手。「始める前は偏見もあった」と話す彼がビーチサッカーにのめり込んでいった背景には、信頼できる選手との出会いと、支えてくれる仲間、家族、そしてサポーターの存在があった。

Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga

Photo / Naoto  Shimada

空中で行われるアクロバティックな技とスピードがビーチサッカー独自の魅力

ーーまずは現在の日本ビーチサッカーについて、お聞かせいただけますか。

現在、日本にはまだプロリーグが無く、いくつかのリーグに分かれて大会が行われている状況です。その中でも大きなタイトルは、JFA主催の全日本ビーチサッカー大会と日本ビーチサッカー連盟主催の地域サッカーチャンピオンシップの2つ。地域サッカーチャンピオンシップは各地方で行われるリーグ戦を勝ち上がったチームが集まって行われるもので、その地域ごとのリーグ戦が始まるのが毎年4月頃です。同時期に全日本ビーチサッカー大会も開催されるので、ビーチサッカーのシーズンは4月から10月頃までですね。ただ、僕の所属しているヴェルディは世界大会への参加などもあるため、例年12月後半まで試合を行っていることが多いです。

ーー競技名に「サッカー」と付いてはいますが、大きく異なる部分が多々あるそうですね。

スパイクやレガースといった防具・シューズを使わず裸足で行うところ、5人制であること、試合時間が12分間の3ピリオドで行われることなど、サッカーとはルールも大きく異なりますね。選手の交代が自由なこと、フリーキックはフリーキックを貰った選手が蹴らなくてはいけないこと、フリーキックの際に壁を作ってはいけないことなども、ビーチサッカーならではのルールだと思います。

あと、これはビーチサッカーの見どころでもあると思うのですが、結構アクロバティックな競技なんですよ。例えば「オーバーヘッドキック」はサッカーでも時折使われる技ですが、ビーチサッカーでは通常のシュートでしょっちゅう行われるんです。多い時だと1試合で10本、20本のオーバーヘッドが飛び交うこともある。ビーチサッカーには「オーバーヘッドのモーションに入ったら、ディフェンスはボールに触ってはいけない」というルールがあるので、基本的にはリフティングからオーバーヘッドに繋げていくような試合運びになることが多いですね。ピッチが狭い分距離が近く迫力があるので、観ている方にも楽しんでもらいやすい競技だと思います。

ーーサッカーの場合、個人の能力がチームの強さに直結する印象ですが、ビーチサッカーでもそれは同じなのでしょうか。

いえ、どちらかというとチームワークが重要な競技だと思いますね。戦術や能力ももちろん重要ですが、それと同じくらい大切なのがチームワーク。もともとの実力差が大きなチーム同士の試合であっても、本当に僅差の試合になることもあります。

前回のワールドカップで日本代表チームは世界2位の成績を納めましたが、ベスト4に入ったうち日本以外の3チームは、すべて自国にプロリーグがある国の代表チームでした。そんな強豪揃いの中で日本がこれだけの成績を残せたのは、日本チームの強みでもあるファミリー感の強さなんじゃないかと、監督を務めたオズさん(※)も話していました。僕自身も、すごく能力値の高い選手が1人いるチームよりも、全員がまとまっているチームの方がやりにくいですね(笑)。 むしろどんなに上手な人がいても、まとまっていないチームは恐くないです。

※茂怜羅オズ(もれいらおず) / 東京ヴェルディビーチサッカー所属。2020年より日本代表監督を務めつつ自身も選手として活躍。FIFAビーチサッカーワールドカップには2013年より日本代表として連続出場を果たしており、監督兼選手として出場した2021年大会では日本代表を史上初の銀メダルへと導いた。

ーー川口選手自身は、自チームのまとまりを特にどんな場面で感じていますか?

ビーチサッカーは28m×37mとさほど広くないピッチ上をボールが飛び交うので、すごくハードなスポーツなんです。キーパーはボールを持った瞬間にピッチの中間地点からの9mダッシュを繰り返すし、FWも横28mの幅をひたすらチェックしながら動き回る。だからずっとやっているうちに息が上がりきって、もう頭が真っ白になる瞬間が出てくるんですね。

そんな限界が近い時、力になるのはチームメイトの声なんです。その時試合に出ている選手だけじゃなく、ベンチやサポーターからの声もすごく聞こえてくる。ピッチに飛んでくる声の内容って、別に具体的な指示とかでも無くて。「ここで頑張ろう!」くらいの単純な声かけが多い。でもその声が、あともう1歩踏み出す力になるし、「ここは体を張ろう」って気持ちにさせてくれるんです。

まとまりの強いチームは、本当に周りの空気感ごと巻き込んでしまうような力がある。もちろんヴェルディもそうですし、他のチームでも仲間を思って声を出せているチームは強いなって思います。


「砂の上の日本代表」偏見を取り払ってくれたコーチの言葉

ーー川口選手は子供の頃からサッカー少年だったんですか?

小さな頃からサッカーしかしてなかったです。始めたのは小学校1年生の時で、父にサッカーボールを貰ったことがきっかけです。友達とゲームをするのも好きだったけど、気がついたら1人で壁当てしているような子供でした。「練習しよう」って思ってやっていたというよりは、「外でサッカーして遊ぼう」って気持ちでやっていたことが、知らず知らずのうちに練習になっていた感じです。

高校もサッカーの特待生として入って、奨学金で入学した松蔭大学でもサッカーは続けていました。大学では部のキャプテンをやったりJリーグの練習会に参加したりと、プロに引っかかるよう自分なりに頑張っていたのですが、家庭の事情で大学を退学しなくてはいけなくなってしまいました。

ビーチサッカーとの出会いはこの頃。大学を辞める時に、当時松蔭大学のサッカー部でキーパーコーチをやっていた若田さん(現・Giant Kazuki(若田和樹))や他のコーチなどいろいろな人に相談して、社会人サッカーやフットサルなどさまざまな選択肢とアドバイスをいただきました。その中で「ビーチサッカー」という将来を考え始めたんです。

松蔭大学の先輩に、原口翔太郎選手がいたのも大きかった。彼は当時ビーチサッカーの日本代表選手だったんです。彼とは今ヴェルディでチームメイトとしてプレーできているのですが、同じ大学の先輩に世界で戦えている選手がいるというのは、当時の僕にとって大きな励みになりました。

大学を辞めたあとの進路についてはとても悩みましたが、これまで僕のやりたいことをやらせてくれた家族に何かを返したかったし、同時に「このまま終わっちゃいけない」という気持ちも大きかった。新たに何かをやるならいちばん真剣に勝負できる場所、日本代表として世界を目指せる場所で頑張りたいと思って、ビーチサッカーの世界に飛び込むことを決めました。

ーーそれまでプロサッカー選手を目指していたところから、ビーチサッカーの道へと進むことに迷いはありませんでしたか?

まったく無かったと言えば嘘になります。ビーチサッカーをやったことも無かったし、正直サッカーをやっていた時は「サッカーよりもレベルが下がった選手がやる競技じゃないのか」って、少し偏見の目で見ていた部分もありました。だけど若田さんの「やっぱりどのカテゴリーでも日本代表は日本代表だし、代表に選ばれるっていうのはすごく良いことだよ」という言葉を聞いて、意識が少し変わったんです。
それに実際飛び込んでみたら、自分のその偏見がいかに間違っていたか、身をもって実感しました。

ーー思っていたものとは違っていた?

まったく違いましたね。「ずっとサッカーをやっていたから初めてとはいえある程度はできるはずだ」と思っていたんです。でも実際ビーチサッカーの世界に入ってみたら、何もかもが全然違う。自分よりもめちゃくちゃ上手い人がゴロゴロいて、自分なんてもう完全に素人でした。

サッカーのピッチよりも圧倒的に足元の悪い砂の上で、平気な顔してリフティングしているような人達ばかりなんですよ。そりゃあ上手いに決まってますよね(笑)。 「自分の知らない上手い人たちはまだこんなにいるのか」と、視野が一気に広がりました。たった一度の練習でそれまでの偏見がポンッと外れてからは、どんどんビーチサッカーに夢中になっていきました。

ーーそれほど魅力あるスポーツなうえ、日本は世界に誇れる実力者を多数有している競技。それなのに一般にまだあまり知られていないのは、とてももったいないですね。

大学のサッカー部って大きい大学だと100人以上部員がいて、すごく上手い選手でもなかなか光の当たる機会が少なかったりするんです。ヴェルディは今、そういった選手を集めたビーチサッカーの大会に協力という形で携わっていて、参加選手から選抜したU-23のクリニックなども開催しています。第1回大会として今年開催された今回は、流通経済大学、筑波大学、青山学院大学、桜美林大学が参加しました。(恵比寿化成プレゼンツ 第1回大学ビーチサッカー大会)

大会に参加した学生選手たちから「ビーチサッカーをもっとやってみたい」という声を多く聞けたことも嬉しかったし、彼らの中から選抜された選手の何人かはJFAの施設で練習を行えるんですよね。

これまで目指していたところとは少し畑違いの競技に感じるかもしれませんが、でも「JFAの施設でU-23の選手として練習している」という事実は少なからず彼らの自信に繋がるはずなんです。経験を得ることで胸を張ってプレーできる選手や、ビーチサッカーという選択肢があると知ってくれる選手が増えていくと、競技全体がもっと面白くなっていくんじゃないかなと思っています。


本気で戦える世界、本気で戦えるチームへの加入

ーー川口選手はどういった経緯でヴェルディに加入されたのですか?

実は僕、ビーチサッカーに出会ってからヴェルディに至るまでが結構早いんです。2016年の8月に大学を辞めたあとは『インテル・ジャパンビーチサッカー』に加入したのですが、練習にはあまり参加できていなくて。と言うのも、実は僕、大学を辞めた後も大学のサッカー部でキャプテンを続けていたんです。大学を辞めなくてはいけなくなった時に当時の監督が「在籍している時に登録をしていれば、大学を辞めた後もリーグに出られるから」と配慮してくださって。当時の部員達にも「大学は辞めるけど最後までやりきらせてほしい」と頭を下げて、続けさせてもらっていたんです。

そういった事情もあって、9月からインテル・ジャパンに加入はしていたものの、ビーチでの練習にも月1回行けるかどうか、というくらいしか参加できていませんでした。そんな時、ビーチサッカー日本代表選手達が多く参加する練習会を行うという話を耳にしたんです。そこで、「練習要員として参加しないか」と声がかかったんです。

ーー初めてほんの数ヶ月でそんな練習会に参加するなんて、とても幸運なことですがプレッシャーも大きかったのでは?

それが僕、結構楽観的で、「なんとかなるだろう」と思っちゃう性格なんですよね。大学時代Jリーグの練習会に声が掛かった時も周りが萎縮する中「プロと練習できるなら行きたい!」って手を上げるようなタイプだったので、この時も同じように「代表クラスの人たちと練習できるなら行ってみたい!」と思って参加を決めました。この練習会に、現在ヴェルディでのチームメイトであり、日本代表監督でもあるオズさんがいたんです。

こんなふうに話すと、この練習会で実力を認められて声が掛かったように聞こえるかもしれませんが、この時の練習会で圧倒的に何もできないのが僕でした。ビーチサッカーの基本技であるスコップもろくにできない状態でしたが、それでもシュートをどんどん打ってアピールすることだけはやろうと思っていたので、それをひたすら続けました。それが功を奏してか、練習会での姿を見ていてくれたオズさんが目を留めてくれて、練習会の2週間後に原口選手を通して連絡をいただきました。

ーー練習会参加から短期間での急展開ですね。

実はこの時、本当に失礼な話なんですけど、いろんなことにちょっと疲れていて原口さんからの電話を2回くらい無視しちゃってたんですよね(笑)。でもあんまり何度も掛かってくるから折り返してみたら「ヴェルディに入れるぞ!」って言われたのでとても驚きました。加入については、少し悩んだんですけどね。

ーー即決ではなかったんですね。

もちろん嬉しい気持ちがいちばん大きかったんですけど、ヴェルディって凄いチームなので。ビーチサッカーを始める時に勉強としていろんな試合映像を見ていたんですけど、そこに映っていた代表選手達の中に競技を始めて半年程度でキャリアも技術も無い自分が加入してやっていけるのか、そもそも入っていいのかって、気負いのようなものを感じてしまったんです。

練習会のような単発のものなら好奇心ややる気だけで飛び込めますが、チーム加入となると継続的なものなので、ちょっと悩みました。でも僕がビーチサッカーの世界に進むことを決めたのは「本気で戦える場所に身を置こう」と考えたからだったなって思い出したんです。それで、電話を貰った2日後に加入を決めました。

ヴェルディは2017年の2月に発足して、僕が加入したのは4月。だから1.5期生のような形での加入でした。当時のメンバーは13人中僕を含めた3人以外全員日本代表で、しかも僕以外の2人も代表候補に近い選手。自分の感覚的には、本当にひとりだけ場違いな立場でのスタートでした。

ーーオズさんは川口選手のどういったところを評価して声を掛けてくださったんだと思いますか?

どうして自分を選んでくれたのかオズさんに聞いたことはないんですけどね。でもオズさんは積極的な人が好きだから、もしかしたらポイントはそこだったのかも。技術的に不足しているのは当たり前だから割り切って、ミスを恐れずとにかく走ってガツガツ向かっていく姿勢を評価してくれたのかなと思っています。

今話していて思ったことなのですが、「ミスを恐れるな!」という言葉は今もしょっちゅう言われてますね。僕だけでなく、ベテランの選手に対してもよく言っています。「自信を持ってミスを恐れず積極的にプレーする」っていうのは、きっとオズさんの根底にあるマインドのひとつなんでしょうね。

その考えは僕も大事にしていることなんですけど、加入当時よりも少し歳を重ねていろんなことがわかってきた今、当時よりも時と場合を考えて動いちゃうことが増えてしまって。でもそんなプレーをやっているとすぐオズさんに見つかってブチ切れられます(笑)。 実際、それが今自分のクリアすべき課題なのかもしれないです。


数奇な縁に導かれ、再び袖を通した緑のユニフォーム

ーービーチサッカー選手の契約は、どのような形で行われているのでしょうか。

チームや選手によってさまざまだとは思いますが、僕に関して言うと正式な契約は今もありません。ヴェルディの選手=プロと思われるかと思うんですけど、日本には現状プロリーグが無い、つまりアマチュアリーグなんです。だから選手はみんな仕事をしながら、プロとしての活動をしています。だけど契約がどうであれ「ヴェルディ」の看板を背負っていることには違いないので、ヴェルディの選手としての意識は常に心掛けているつもりです。

僕は、ヴェルディというチームへの思い入れが個人的にすごく強いんです。なぜかと言うと、実はヴェルディのユニフォームに袖を通したのは、ビーチサッカーが初めてじゃないから。サッカーのヴェルディはトップチームの下に4つの支部チームを持っているんですが、僕は中学生の時、そのうちの1つである「ヴェルディ相模原」に入団していたことがあるんです。これも家庭の事情で途中退団したのですが、仕方がないことだとわかっていても、この時の退団は自分の中でずっと心残りになっていました。

だから、その後もサッカーを続けていたことでビーチサッカーに繋がって、違う競技で再びヴェルディに入団することができたのは、僕にとって本当に嬉しいことだったんです。ビーチサッカー選手として加入して再び緑のユニフォームに袖を通した時は、本当にワクワクしました。

今でも試合でユニフォームを着るたびに、ヴェルディの選手としての誇りを思い返しています。いつか引退する時も、絶対にヴェルディで終わりたい。僕はこのチームに骨を埋める覚悟でいます。

ーーふたたび縁を繋げたチームだからこそ、思い入れもひとしおですよね。お話を伺っていると、川口選手は自身ではどうしようもない事情に人生を左右されてきた経験が何度もあったように思うのですが……。

でも親に対しては本当に感謝しているんですよ。この環境だったからこそ、「自分のやりたいことは自力で何とかしないと勝ち取れない」って気持ちを育てられた部分もあると思いますし。

僕は本当に勉強ができなかったんで(笑)、「サッカーを高校でも続けたいならサッカーでどうにかするしかない」ってめちゃくちゃ練習して、いろんな人に「サッカーで入学できる学校はないですか」って話した結果、特待生として入学できたんですよね。もしかしたら親も何とかしようと思えばできたのかもしれないけど、でもそこで何とかしてもらえていたら、僕はそこまで必死で練習しなかったかもしれないし、どこかで「きっと周りがなんとかしてくれるだろう」って考え方になっていたと思う。

大学を辞めた時は、家が大変なタイミングに被ってしまったので仕方がなかったと思うんですけど、でもそれ以上にサッカーへと導いてくれたことや、大変な中でも自分に時間やお金を掛けてくれたことについては、今でもすごく感謝しています。

ーーサッカーを始めたきっかけも親御さんにボールをプレゼントされたことだと仰っていましたね。

本当はゲーム機が欲しかったんですけどね(笑)。 でもゲーム機は買ってもらえないから、クリスマスに何だったら買ってもらえるかなって子供ながらに考えていたんです。ちなみにサッカーボールを貰った時、兄はMDを貰っていたんですよ。それを見て「僕もMDがいい!」って言ったんですけど「敬介はサッカーボールだ」って親父に言われて、泣きじゃくったのを覚えています。

でも結果的に、サッカーボールはずっと飽きずに遊べたんですよね。ゲーム機だとソフトが無いと遊べないしそのうち飽きちゃうけど、ボールは遊んでいるうちにどんどん楽しくなって、ずっと遊べるものになった。それがいつのまにか練習みたいになって今に繋がっている感じだから、今はあの時貰ったのがサッカーボールで良かったなって思っています(笑)。


日本代表になって、彼女に笑ってもらえるように

ーー先ほどヴェルディに骨を埋める覚悟と仰られていましたが、海外リーグへの憧れは無いのでしょうか。

もちろんあります。現状まだ海外でプレーする夢は叶えられていませんが、その意向はシーズン1年目が終わる段階でオズさんにも話しています。ビーチサッカーって、日本のチームに所属したまま単発で海外に行ってプレーすることが可能なんです。短期レンタルのような形で、例えばヴェルディに所属したまま、ひとつの大会だけ別の国でプレーして、終わったら戻ってくるってことができる。海外でプレーできたら日本のいろんなチームからも声が掛かると思いますが、それでも僕はヴェルディを選びます。海外への憧れはありますが、戻る場所はヴェルディだと思っています。

ーー現在、ヴェルディの選手としての活動とお仕事は、どのように両立されているんですか?

僕はアスリート社員という形で、一般企業で働いています。月曜日は練習がないので仕事だけの日で、火曜から金曜までは朝8時から10時まで練習を行ってから仕事をして、土日は練習や試合といった感じの毎日ですね。ただこれはあくまで一例で、会社や選手によってスケジュールや仕事の内容はまったく異なると思います。

ーー安定した環境で競技に取り組めているんですね。

マイナースポーツがメディアに登場する際って、選手活動との生活の両立や家族を持つ不安などを取り上げられることが多いから、大変そうなイメージを持つ方は多いですよね(笑)。 もちろん大変な環境の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕に関しては、今のところ不安はまったく無いです。

周りにそういう話ができる仲間がいることも大きいですね。選手同士でも、例えば誰かが給与面で悩みがあると聞けば、誰かが自分の知っている情報を伝えたり、話を聞いたりしてくれる。今のヴェルディには大学生の選手も所属しているので、僕もアスリート社員としての働き方や自分の経験を伝えるなど、いろいろな話をしています。誰かの不安や困ったことをどうやってみんなでカバーするか考えられる仲間ばかりなので、とても心強いです。

ーー選手同士で、自身の将来や選手としてのマインドについて話すこともありますか?

チームメイトとは結構話しますね。選手としてのマインドはおそらくみんな同じ。やるからには海外でのプレーや日本代表を目指したいと集まっているメンバーなので、「ほどほどに競技をやっていこう」みたいな意識でやっている選手は、少なくともヴェルディにはいないです。

ヴェルディには海外でのプレー経験がある選手も代表選手も多くいるので、実際にそのチャンスは近くにある。だから将来というよりは、海外でプレーしてきた選手に感想を聞くなど、わりと近い未来のチャンスを掴むための話をすることが多いですね。

ーーご家族も選手活動を応援してくださっているのでしょうか。

家族はすごく応援してくれていますね。ヴェルディも最近選手層が厚くなってきたので、僕がベンチメンバーから外れてしまう試合もあります。そんな時、僕の妻はいつも僕以上に悔しがったり怒ったりしてくれるし、逆に何か良いことがあったらものすごく喜んでくれるんです。

去年子供が産まれたんですけど、初めての子供なのでお互いわからないことばかりで、きっと彼女も辛いことが多いと思うんです。しかも僕は仕事と選手活動で家にいない時間が長いから、ほぼ子育てを任せてしまっている状態で……。僕がビーチサッカーをやっていることを気遣って頑張ってくれる彼女の支えがあるから、僕は選手として活動できている。本当に誰より僕を応援してくれている人なんです。ビーチサッカーを始めた時は親に何かを返したいって気持ちが大きくて、もちろん今もその気持ちは変わらずあるんですけど、でも今は妻の笑った顔が見たい気持ちも大きいんですよね。

家族に対して「ありがとう」って伝えるのってちょっと気恥ずかしい気持ちもあってなかなか伝えられないんです。だから、練習も試合も一生懸命やって、少しでも早く日本代表になって、彼女に笑ってもらえるようにと日々頑張っています。


何万人の歓声よりも心に響くビーチの応援

ーー大切な人の笑顔をみたいという気持ちは、何よりの原動力になりますよね。そして応援してくれる人に自身の努力でもって向き合うことは、サポーターに対しても共通しているのではないでしょうか。

以前に比べると、観戦に来てくれるサポーターの数はかなり増えました。数年前は観客が少ない試合も珍しくなかったですが、最近では小さなコートに多くの人が集まってくれるようになってきましたね。もちろんサッカーの何万人単位と言う数字にはまだまだ届きませんが、近い将来、海外のように専門スタジアムにたくさんの人が足を運ぶような競技にしたいです。

ーー何万人もの観衆に囲まれることへの憧れみたいなものはありますか?

競技としては大きくなってほしいけど、個人としての憧れは正直あんまり無いんですよね。大きなスタジアムでの試合経験は高校サッカー時代にもあるのでその良さも知っていますが、それよりも今は近い距離で感じる声援や熱の方に自分の意識は向いています。

ビーチサッカーはDJの流すBGMがガンガン鳴り響く中で試合を行うんですが、その大音量の中でのアクロバティックなシュートや空中で体をぶつける迫力、それに対して間際で観戦しているサポーターから漏れるどよめきや感嘆の声、盛り上がりを感じられることで「今、自分達のプレーでみんなが熱狂してくれている」ってダイレクトに実感できる競技なんです。

この盛り上がり方はサッカーとはまったく違う、ビーチサッカー独特のものだと思います。アクロバティックなプレーに加えてサッカーよりもコートが小さい分試合展開も早いので、サポーターの中には「サッカーには興味が無かったけど、ビーチサッカーを見て好きになった」という方も結構いらっしゃるんですよ。

ーーバスケットボールでいうと3×3に近い雰囲気かもしれませんね。その中でも、特に印象に残っている試合はありますか?

どのゲームも記憶には残りますが、あえて選ぶなら3年前に鳥取で行われた大会かな。自分のプレーがすごく上手くいった試合でもあるんですが、まだコロナ前だったこともあって観客の方々の声援がすごかったんです。

チャントを歌ってくれたり僕のプレーに対して大きく反応してくれたことは、やっぱり嬉しかったし印象に残っていますね。ここ最近の試合だと、立飛ビーチでの試合の際に太鼓を叩いてくれていたことも記憶に残っています。Jリーグではよく見る光景ですが、ビーチサッカーでもそういった光景が見られるようになってきたんだなと感慨深かったです。

ーー川口選手から見て、ビーチサッカーを取り巻く環境はいかがでしょうか。年々良くなってきていると感じていますか?

今は本当に過渡期なんじゃないでしょうか。ヴェルディが発足した当時のビーチサッカーは今よりずっと認知度の低い競技で、スポンサーになってくれる企業も少なかった。全国大会に行くのにも、選手達で車を運転して8時間掛けて試合に向かっていたような時代です。もちろん優勝しても、帰りはまたみんなで8時間掛けて交代しながら運転して帰っていました(笑)。 オズさんやGMの頑張りのおかげもあって、この数年では知名度も観客数も飛躍的にアップしてきたんじゃないでしょうか。

ヴェルディは発足してから6年経ちますが、今のところ練習試合も含めて無敗なんです。

この記録をきっかけにヴェルディを好きになってくれたりスポンサーになってくれたりという方々もいらっしゃるので、記録を伸ばしていくことが競技を拡大する一端を担うことに繋がればという気持ちで頑張っています。

そして記録・成績という面でいうと、やはり昨年のワールドカップ2位は大きかった。準優勝できたことで注目が集まって、いろいろな大会やU-23などのカテゴリーが増えるなどの動きがありました。僕がビーチサッカーを初めて見た日から現在までの変化を改めて思い返すと、ここ数年で競技全体が急成長していると感じます。成長に伴いYouTubeなどで配信してくれる方も増え、ビーチサッカーに触れてもらえる機会が増えてきたことも嬉しいですね。


オフのマルセロも参加!? ブラジルのビーチサッカー事情

ーービーチサッカーをより広めるために、川口さんは何が必要だと考えますか。

まずはプロリーグの発足ですね。やっぱりプレーヤーとしては、プロ化がいちばんの目標です。ただ、プロ化しても今のビーチサッカー選手のマインドや、感謝の気持ちは絶対に変えてはいけないものだと思っています。メジャーになっていくにつれサポーターと距離ができていくのは避けたいし、そうなると長い目で見た時に身近な競技ではなくなってしまうと思うんですね。

僕、ビーチサッカーの勉強で1ヶ月くらいブラジルに滞在していたことがあるんですけど、ブラジルではビーチサッカーってすごくメジャーな競技で、専門スタジアムもあるし、選手やチームがとても良い条件下で頑張ることができているんです。

その背景には、プロ選手とサポーターがすごく近い距離にあることがひとつ理由としてあるように思うんです。彼らにとってプロがどれくらい身近な存在かというと、例えばレアル・マドリードのマルセロが、オフに海辺でやっているビーチサッカーに参加したりしているくらい。僕自身も滞在中に、ロナウジーニョが出たビーチサッカーの試合を見ました。すごく有名な選手が仕事ではなく、プライベートで気軽に地元のイベントに参加して子供達と触れ合っている環境は、日本には無い光景だなと感じました。

目の前でプロの試合を見たり、有名な選手に接したりした子供達は、きっと「こんな人になりたい」と憧れを抱きますよね。ブラジルって子供の頃からお爺ちゃんになるまでひとつのチームをずっと応援している熱心なファンがすごく多いんです。もちろん国ごとにいろいろ事情はありますが、こういった関係を築いていくことができれば、日本でも多くの人にとってスポーツが生活に密着したものになっていくんじゃないかなと思うんです。

ーー川口さんは地元スクールで講師も担当されているそうですが、それも同じような思いから?

はい、ブラジルから帰った時に「今の自分は何ができるかな」と考えて、子供の頃に自分が入っていたクラブで週に1回講師をすることにしました。選手になった自分にできる恩返しをしたいと考えたことも、コーチを始めた理由です。僕が小さな頃はプロに教わる機会があまり無かったから、僕の教えることが少しでも刺激になってくれたら嬉しいし、子供達にとってプロ選手が身近な存在に感じられるといいなと思って。今の子供達が大きくなってプロになった時、同じようにサポーターを大事にする選手になってほしいという思いもあります。

ーーここまで話を聞いていて、川口さんの思考や行動の背景には常に周囲への感謝があるんだなと感じました。

この気持ちは、ビーチサッカーに足を踏み入れたからこそ芽生えたものです。ビーチサッカーの設営は選手自身が行うんですが、それをボランティアの方々や、それこそ見にきた観客の方までもが手伝ってくれることもあるんです。自分のお休みの時間を使って観にきてくれて、試合ではすごく盛り上がって楽しんでくれて、そのうえ時には設営まで手伝ってくれて(笑)。 本当に、めちゃくちゃ大事な存在だなって思います。だからこそ、近くでサポーターを近くで感じられるビーチサッカーに、僕自身もどんどんのめりこんでいったのかもしれません。

サッカーをやっていた時代は、ベンチ外になることを恥ずかしく感じていました。でも今はまったく恥ずかしいとは思わない。たとえベンチに入れなくても、恥ずかしがるよりその試合で自分に何ができるかを考える方がよっぽど大事だと思えるようになったんです。この変化は、ビーチサッカーを必死で盛り上げようとする周りの選手やスタッフ、そしてそれを応援してくれる人たちの存在のおかげです。この人達の努力によってビーチサッカーが大きく成長していくのを間近で見てきたからこそ、恥ずかしいなんて言ってられませんよね。

これはビーチサッカーに飛び込んで偏見を取り払うことができなければ、得られなかった感情だと思います。この競技に足を踏み入れたからこそ、自分が選手として活動できていることは当たり前じゃないと解ったし、みんなのために何かをしたいと思える自分になれたんだと思っています。


応援には、応援で返したい


ーー川口さんの思い描く、「ビーチサッカーの理想の形」は何年後に実現できると思いますか。

競技を大きく飛躍させるきっかけは世界の舞台で成績を残すことだと思うので、鍵になるのはやっぱりワールドカップではないでしょうか。なでしこジャパンが優勝したことをきっかけになでしこリーグができたように、ビーチサッカーもワールドカップで優勝することが直近の目標ですね。

ビーチサッカーのワールドカップは2年ごとに行われているので、仮に2年後優勝できなければまたさらに2年後というスパンにはなります。でもそう考えると、早ければ次のワールドカップが行われる2023年には日本のビーチサッカー界が大きく盛り上がることになるので、その頃には理想の形もある程度見えているかもしれませんね。

日本代表選手であり監督も努めているオズさんは、サッカーで言うとメッシのような存在なんです。そして、キングオブビーチである彼が代表を努める日本チームは、「世界一」のマインドを持っているということ。彼の言う「まとまったチームこそが強い」という言葉を信じて次は優勝したいと思っているし、僕たちも彼に頼るだけじゃなく、自身の言葉や行動でビーチサッカーを発信していかなくてはならないなと考えています。

ーーでは川口さんの個人的な目標も日本代表に入ること?

そうですね。まずは日本代表に入ることが直近の目標です。ワールドカップ優勝という夢は遠いものじゃなくなってきているからこそ、去年の試合でも「どうして自分がここにいないんだろう」っていう悔しさはありました。去年オズさんをはじめとする代表選手達が示してくれた未来を実現するためにも、まずは代表に入って、その次の目標はワールドカップで優勝することですね。

ーー例えば20年後、30年後。川口さんが選手を引退して年を取った時、ビーチサッカーに携わっている姿は見えますか?

気持ちとしては携わっていたいけど、それは無いんじゃないかな。きっと自分が競技を退く頃には、次の世代の選手達がビーチサッカーを新しい形にアップデートしてくれていると思うんですよ。新しい思考・新しい観点がある選手たちが競技を作っていった方が良いと思うから、そこに自分がいる姿はちょっと今は想像がつかないですね。

ーー最後に、川口選手にとって応援とは何でしょうか。

挨拶のようなもの、ですね。挨拶されたら挨拶を返すじゃないですか。それと同じで、応援されたら応援で返したい。それが選手同士だと切磋琢磨に繋がると思うし、サポーターとの距離を縮めていくものになると思います。

応援って本当に不思議なもので、自分がされると相手に返したくなるんですよ。誰かに応援してもらったら、その応援を糧にして何か結果に変えて返すことで応えられる。応援してくれた人が頑張っているものがあるなら、僕もそれを応援したいなって思います。