すべてはクライミングで生きていくために
幼少時から大人に混ざってクライミングに親しみ、東京オリンピック時には強化選手にも選出された渡部桂太。昨年大きな怪我に見舞われながらも再び選手としての復帰を目指している彼は、選手活動以外にもインストラクター、スクール運営、クライミング用品の輸入販売・取付施工、大会の解説までをマルチにこなす、クライミング界でも稀有な存在だ。何役をもこなす唯一無二の立ち位置からさまざまな角度でクライミングの課題を考え、スポーツクライミング界全体の向上を目指し尽力する彼に、今の思いを聞いた。
Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada
Interview date / 2024.07.24
すべての行動は「クライミングで生きていくための手段」に帰結する
ーー渡部さんがクライミングを始めたのは小学校2年生の時だそうですね。
始めたのは小学校2年生からですが、それから3年生までの1年くらいはそれほどクライミングジムに通い詰めていたわけでもないんです。クライミングを始めるきっかけになった地元の登山用品店で話を聞いたり山登りに行ったついでに少しクライミングをやる程度だったので、一応始めてはいますがまだまだ「競技としてクライミングをやっている」という意識はありませんでした。
どちらかと言うと、「単純に登ることが好きでジムにいる」という感覚だったのかな。ジムにいる大人たちはみんな優しかったです。どこのクライミングジムに行っても僕より小さな子はいなかったこともあってか、「子供がジムに遊びに来ている」といった感じでたくさんの方がいろいろなことを教えてくれました。
ーークライミングジムには家族のどなたと通っていたのですか?
父と一緒に通っていました。父はクライマーではないので技術的な部分について細かく指導するようなことは無かったのですが、取り組む姿勢や態度についてはとても厳しかったです。
例えば壁にトライする間隔がやたら空いていて滞在時間が長いなど、ジム内での態度や行動からやる気のなさが見えた時には「やる気が無いなら帰るよ」と声をかけられることもありました。父の指導は「やるならちゃんとやれ」と一貫していましたね。
父自身もバレーボールやアメフトの経験者なのですが、競技中にアキレス腱を断裂したため辞めざるをえなくなってしまったそうです。そういった過去があったうえで自分の息子がスポーツをやっているとなると、「その分頑張って欲しい」と思う気持ちがあったのかもしれません。
ーー楽しさから始めたクライミングを、「競技」として捉えて取り組み始めたのは何歳頃?
初めて大きな大会に出たのは小学校4年生の時。神奈川県で開催された、THE NORTH FACE主催の大会でした。
当時は全国的にクライミングをやっている子供がまだ少なかったので、クラス分けも小学校4年生から6年生までをまとめたカテゴリー分けだったのですが、その大会で優勝できたんです。そこで初めて「自分にはクライミングのセンスがあるのかもしれない」と思いました。
だけど、それですぐに競技として本格的に取り組み始めたかと言うとそういうわけでもなくて。その後も、基本的には地元の岩場をジムの人たちと一緒に登りに行くような活動がメインでした。小学校を卒業するくらいまでは、まだまだ趣味の延長でしたね。
ただ、中学校に入る頃にはその感覚にも少しずつ変化が生まれてきました。
僕は2つ上に兄がいるので、兄を見ていると2年後に自分の置かれる状況がなんとなくわかってくるんです。普段遊んでいる時間が短くなってきたり部活があったりと、クライミングに使える時間も変わってくるんだろうなとうっすら感じるようになってきました。
僕の通っていた地区では、必ず学校の部活に入らなくてはならないというルールがあったので、中学では僕も陸上部に入りました。だけど中2になる頃にはクライミングでユースの世界大会にも出場するようになっていたので、僕自身の感覚としてはまだ趣味の延長なのに周囲から見ると本気で取り組んでいるような見られ方になっているなど、少しずつ周りの環境や自分の意識にズレが出始めた時期でもありました。
この頃から、漠然とではありますが「この先どうしていこう」と考え始めたように思います。
ーー当時クライミングから学んだことで、今でも引き続き大切にしている考え方などはありますか?
「その時々で全力が出せなければ、結局上手くいかない」ということでしょうか。
自分のために使える時間をできるだけたくさん作ることは大切ですが、その作った時間の中で真剣に取り組めるかどうかがいちばん重要です。
子供の頃って、自分がやりたいことを常に全力でやっていたように思うんです。だけど、大人になると「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」といろんなことを考えるようになって、結果全力で取り組めていないことって多々あると思うんですよね。
大事なのは「大人だから」を言い訳にせずシンプルに頑張る時間を作ること。それは、あの頃の自分から得た学びだと思います。
ーーその後歩みを進めていく中で、クライミング以外の道を考えたことはありませんでしたか?
選択肢はいろいろあったと思うんです。例えば在学中は塾に通ったり他のスポーツをやってみたり、専門学校に進学して整備士の資格を取ったりもしました。
だけど、結局僕は「クライミングで生きていきたい」という思いが強かった。「僕にとってすべての行動はクライミングを楽しく続けるためにある」という考え方に行き着いたんです。
高校生になる頃には、何をやったとしても自分の行動は「クライミングで生きていくための手段」に帰結するんだなと自覚していました。
苦しいのはリハビリも練習も同じ。大切なのは目的の意味を理解して行動すること
ーープロクライマーとして数々の大会で輝かしい成績をおさめてきた渡部さんですが、昨年の競技中に大きな怪我を負いました。SNSでも自身の状態やリハビリについて発信なさっていましたが、怪我をした時の心境やそこから復帰を目指すためにメンタルを整えた方法などについてお聞かせいただけますか。
怪我をした瞬間ってよく「頭が真っ白になった」と言いますが、僕は意外と冷静でした。これまで20年以上もクライミングをやってきて大きな怪我をしたことが一度も無かったので、「ついにこの時が来たか」という感じでしたね。
亜脱臼だったので、その時点では「完全に折れているわけじゃないし何とかなるだろう」という思いもありました。だから直後はそこまでネガティブな心境でも無かったんです。相談できるいろんな方に自分で状況を伝えつつその日は一旦実家に帰って次の日に病院でCTを撮ったのですが、そこで実は靭帯が断裂していることがわかったんです。
すぐに手術することができなかったので、空いた時間の中でいろんなことを考えました。
手術すれば治る可能性はあるけれど完全に復帰できるのか、自身の回復能力はどうなのか、手術に対する自分の不安感。いろんな自分の心情や姿を想像しましたが、結果的に「怪我を治して日本代表に復活したらかっこいいな」という結論に至り、手術に踏み切りました。
ーーリハビリと聞くとどうしても「苦しいもの」とイメージしてしまうのですが、どのような思いで取り組んでこられたのでしょうか。
もちろんその瞬間は苦しいです。だけど、苦しいのはクライミングの練習も同じなので。ただ、リハビリでは「どうしてこれをやるのか」をちゃんと聞いてからやるようにはしていました。
クライミングは競技の特性上セルフマネジメント能力がものすごく大事な競技です。提示されたメニューを安直にこなすだけではまったく意味がないと分かっていたので、メニューが組まれた理由や背景、論文でのエビデンスなどを聞いて理解しながら、理学療法士の方々や先生に相談しつつリハビリに取り組みました。
セルフマネジメント的な観点で言うと、分からないことを「分からない」と自覚したり表現することがとても大事だと思うんです。
僕は子供の頃、視点が人と違いすぎて分かっていないのに分かった気になってしまうようなところがありました。だから今は「自分がどう思っているか、きちんと理解できているのか」を、都度自身で確認するようにしています。
それはクライミングの場だけでなく、こういった取材や仕事上でのミーティングでもそう。極端な話、街を歩いている時も歩いている人を観察して感じたことやそれに対して自分はどう思っているのか解釈するということが癖のようになっている。だから疲れるので、あまり人混みには行きたくないんです(笑)。
ーー過去のインタビューで「自分は自己中心的な性格だと思う」と仰られていましたが、今お話していてあまりそういった印象は受けません。自身の性格について、どのように捉えていますか?
自身のオリジナリティや個性は強い方だと思っています。社会のルールや決め事にとりあえず合わせることはまずなくて、「そのルールはどうして定められているのか」「しない人とする人の差はなんだろう?」など、さまざまな物事の理由を常に考えながら行動したいんです。
ただ、自分で考えた結果や自身の価値観に沿って行動しているとはいえ、それはつまり自分の軸を基準に動いているわけなので、結果として自己中心的なのかなと思うこともありますね。
あと、僕は自分自身のパーソナルな部分を開示して「自分はこういう人間です」と言うタイプでは無いんです。誰かが僕を見て「こういう人間だ」というのであれば、それも自分だと思っています。
ーー他人からの目線も含め自己を多面的に受け入れる方なんですね。渡部さんはプロクライマーとしての活動以外にもスクール運営、インストラクター、クライミング用品の輸入や設計・設置など、クライミングに関わるさまざまな分野で活躍なさっていますが、それはその価値観に基づくものなのだなと納得しました。
活動範囲が広がったのは、僕に向けられる応援の形が変化してきたということでもあると思っているんです。
クライミング選手としての活動がほぼすべてだった時は、競技で成績を残すための応援をされることが多かった。だけど今は、怪我をして日本代表に戻ることを目標にしている状況です。この目標は、ワールドカップで優勝したりいろいろな大会で入賞したりといった、これまでの自分が築いてきたキャリアの最高値を狙うような種類の目標ではありません。
だけど、今の自分にとっては、最大限頑張れば届くかもしれないチャレンジングな目標なんです。そういった目標の変化やそれに伴う活動の変化によって、自身に期待されること=向けられる応援の範囲は広がったように感じています。
ーー活動の範囲が多岐に渡るようになれば、それぞれの活動に対して応援してくれる方が現れますよね。
僕は喋るのが好きだし「その場で何を伝えるか」を選択して話す能力に長けていると思ったので解説なども行っているのですが、それも「自分のスキルを役立てられるなら応えたい」という気持ちからです。
テレビ局に依頼されてクライミングの壁を建てる時に求められる、「クライミングを知らない方々に対していかに上手く伝えていくか」といった作業も、経験者である自分だからできること。
これらの仕事も、それ以外に行っているインストラクターやクライミング用品の設置などの仕事も、すべては「自分の行動が少しでもクライミングの裾野を広げることに繋がればいいな」と思ってやっています。
選手だけではなく、クライミングに関わるすべての人が当事者
ーー昨今の日本国内におけるクライミングの状況を、渡部さんはどのように感じているのでしょうか。
クライミングという競技は先人の方々が積み上げてきた信頼のおかげで、クリーンなイメージが強いんです。そのクリーンさが競技全体に対してプラスに働いている部分はあるように感じていますね。
また、競技のバックグラウンドに山岳登山があることも大きいです。昔は山岳会を持っていたり支援したりする企業が多かったのですが、その当時支援を行っていた方々がクライミングに対しても好意的に見守ってくださっているので、それも良い形で影響しているように思います。
クライミングという競技の歴史自体はまだまだ浅いものですが、山岳登山などのアウトドアまで範囲を広げて考えると実はわりと古くから親しまれているものだし、関わりのある人も多い競技なんです。
今、スポーツクライミングという競技に携わっている立場として大切にしたいと思うのは、そういった方々の支援や期待を裏切らないよう競技をアピールしたり活動の範囲を広げていくこと。そして、自分たちの能力を社会貢献にいかにして繋げられるか考えることだと思っています。
選手であればもちろん成績を出していくことがいちばんです。だけど、もちろんそれだけがすべてなわけではない。例えばオリンピックでメダルを獲れたとしても、国内のたくさんある競技同士で注目や予算を競い合っているわけだから、それだけじゃダメなんです。
クライミングという競技を広げていくためには、関わる人間、頑張る人間の数をどうにか増やしていく必要があると思っています。
ーーそれには選手だけではなく、クライミングに関わるすべての人々の努力が重要ですよね。
クライミングに関わる方々は選手に対して「期待している」と仰ってくださいます。
しかしそのように仰っていただく方々も、クライミングというジャンルを底上げしていく当事者として、みんなで一緒に頑張らなくちゃいけないんですよね。
いろいろなジムから大変だという声を耳にしますが、僕は地域に直接的な影響力がある地元に根ざしたジムこそ、それぞれの場所に合わせたジム作りを行わなくてはならないなと思っています。
ーー地域のジムは、どのような特色を出していくと良さそうでしょうか。
最近は「とにかく近代的に、合理的にやればいい」と思っているジムも多いようですが、これだけオンラインで何でもできる時代にわざわざジムに足を運ぶ理由は、やっぱりクライミングの本懐が「体感する」ところにあるからです。
例えばお金のように「単に便利に使うためのもの」であればカードや電子マネーのようにどんどん合理的に進化していくべきですが、クライミングのように「体感すること」そのものが目的となるスポーツにおいて近代化や合理化のみを追い求めてしまうと、クライミングの醍醐味そのものが損なわれてしまう。
都会のどまんなかにあるジムであれば近代的、合理的なものを求める方も多いかもしれませんが、郊外や地方のジムであれば、まずはジムの立地と、そこに足を運ぶ人々が「何を楽しみに、何を求めてきているのか」を、地域の特色に合わせて考えることが必要です。
ーージム側が地域の方々に適した環境を提供できるようになると、利用したいと思う方は増えそうですね。
クライミングって実は、歩くこと、階段を登ることの次くらいに簡単なスポーツなんですよ。だから、スポーツとしての敷居は他の競技よりもすごく低いはずなんです。
さらに、その簡単な動作に「頭で考える」というものが加わるからより面白い。考える部分が多いスポーツなので、運動が苦手な人であっても運動神経以外の部分で向上していけるという面が、クライミングの唯一無二の良さだと思っています。そういったスポーツだからこそ、たくさんの人に慣れ親しんでもらいたいんですよね。
ーー全国のクライミングジム利用者の中には、子供も多くいらっしゃると思います。スクール運営を行う立場から見て、クライミングを行う子供の親はどういったスタンスで見守れば、良い結果に繋がると思いますか?
「子供が頑張っていることを一緒に学ぶ」といったスタンスが、結果的に子供たちの成長の近道にもなるのではないかなと思っています。
昔働いてたジムのオーナーが、「子供に教えることも大事だけど、同時に親にも一緒に学んでもらう必要がある」と言っていたんです。僕はその言葉をすごく印象的に覚えていて。
子供たちがジムにいる時間は彼らの1週間のうちほんの数時間です。当たり前ですが、ジムにいるよりも家族と一緒にいる時間の方が圧倒的に長い。それであれば、保護者の方々にもクライミングに携わる仲間として一緒に学んでもらえれば、クライマーを目指す子供たちにとってより良い環境に近付くという考えに基づく言葉です。
もちろん保護者の方々に一緒に学んでもらうためには、ジム側も「クライミングジムにいない時間でクライマーとして成長する環境をいかにして提供するか」というところまで考えて、情報を提供したりアクションを起こしたりすることが重要なんですけどね。
ーークライミングというスポーツは課題へのチャレンジ、休憩、再度のチャレンジを繰り返す競技ですよね。いちど登れなかった壁であっても休憩後に気持ちや思考を切り替えて再トライするという競技の性質は、そのまま自己成長にも繋がるのではないかと感じました。
人にもよるかとは思いますが、僕はまさにセンスではなく頭で切り替えるタイプなんです。
クライミングにはベルトコンベア方式といって5分登ったら5分休憩することを繰り返す方法があるのですが、その5分の休憩時間中のメンタルも、直前の5分がどんな内容だったかによってかなり違います。「全然登れない、どうしよう」という時もあれば「さっき登れたから次もいけるな」と思う時もある。
だけど、仮に休憩中に浮かんだ考えがネガティブなものだったとして、それを考えたところでそこまでの結果が変わるわけじゃないですよね。だから、考えてもその先に繋がらないことについての考えは全部捨てています。
基本的に「これまでの行動によってどんな結果に繋がったか」については考えるけど、それ以降は単純に「次、どうするか」だけを優先して考える。クライミングは、それを繰り返すだけです。
ーーとは言え、どうしても感情に引きずられてしまう時もあると思います。自身の思考を俯瞰で捉えるためのコツはありますか?
リスクをリスクのまま捉えるのではなく「それのどういったところがリスクになるのか、何がリスクなのか、自分が恐怖心を覚えるのはどの範囲を超えた時なのか」など、自分の感情や思考を細分化して考える作業を繰り返すことでしょうか。
最近友人のクライマーが、命綱無しのフリーソロで称名滝(ショウミョウタキ)に登ったんです。はたから見ると「馬鹿なんじゃないの?」と思う人もきっといると思うんですよね。実際に危ないことですし。
だけど僕は彼がそれを登るに至ったプロセスこそがクライミングを行ううえで、すごく重要なことだと思っているんです。出来ないことに対して原因を追求していく過程からいろんな情報を得ることができるし、それを反復していくことが目標達成へと導いてくれる。これは日常生活にも応用できる考え方だと思います。
応援とは、「リスペクト」
ーー取材日現在はパリオリンピック目前ですが、渡部さんも東京五輪の際には強化選手に選出されていました。その後怪我などもありましたが、今ご自身はオリンピックというものをどのようにとらえていらっしゃるのでしょうか。
僕は強化選手になったことがあるだけでオリンピックに出たわけでもないので、そんなに語るほどのものではないとは思っていますが、だけど自分の周りの人間が出場していますし、五輪のパブリックビューイングでは解説なども行うので、僕自身にとっても身近に感じる大会ではあります。
世界中の誰もが知るオリンピックという大きな大会に出られるのはとてもすごいことですし、そこでメダルを取ることができれば、その先へとつながる大きな機会を得られると思います。だからこそ、少なからずオリンピックに関わる人間として、選手たちが気持ちよくオリンピックに向き合える環境であれば良いなと思っています。
ただ、やっぱりオリンピックという大きな大会に出場する選手たちは、計り知れないほどの過酷なプレッシャーとも戦っています。
僕自身も体感したからこそ思うことですが、「オリンピック強化選手」になるだけでもすごい期待が寄せられるんですね。それが出場選手ともなるとより強まってくる。その期待はもちろんありがたいものですが、その反面、その状況やプレッシャーで人生が狂う人がいるのも事実です。
全員が全員、そのプレッシャーに打ち勝って最高のパフォーマンスを発揮できるとは限らない。だから、応援する人間はある程度見守ることも大事なんじゃないかなと思います。
ーー選手として、関係者として。さまざまな立場からクライミングを盛り立てている渡部さんですが、ご自身が思い描くクライミングの未来についてお聞かせいただけますか。
パリ五輪のようなビッグイベント前後には、必ず大きな波が来るんです。ジムにも人が集まりやすくなるし、何だかすべてが競技にとってプラスに働くタイミング。そんなせっかくの盛り上がりを無駄にしてしまわないように、波に備えてまずはしっかりみんなが準備できる環境を作りたいです。
あとは、将来的にはその波を自分たちで起こせるようになっていきたいです。その手段はいろいろあると思うんですよね。例えばクライミング協会の人になるのもひとつの手段だし、まったく違う畑にいることで結果的に大きくクライミングに貢献できることになるのならそれでもいいと思っています。
ーークライマー個人としての目標などはありますか?ご自身の公式サイトに記載されていた「見る者を魅了するクライマー」という言葉も印象的だったのですが。
僕自身もクライミングはずっと続けていきたいと思っています。昔から着地する時や登る際の姿勢を綺麗にみせることについてはすごく気をつけてきたので、「魅せるクライミング」という視点で言えば、まだまだ自分にも伸びしろがあると思っています。美しさを基礎とする表現方法についてはこれからも模索していきたいですね。
ーーでは最後に、渡部さんにとって応援とは何でしょうか。
人間って、自分に無いものを持っている人に魅力を感じると思うんです。同じ競技をやっていたとしても、自分よりもさらに高い能力を持っている人はすごく魅力的に感じるし、応援したくなる。
そうやって考えていくと、憧れという感情の延長線上に応援というものがあるのかもしれません。
クライミングは思想的にも「誰かを蹴落とそう」といった思考にならないスポーツなんです。自分ができないことをできている人はリスペクトすべきだし、応援したくなる。レベルや力量関係なく、その瞬間に頑張っている人のことは応援したいですね。
僕はたまたまジムで一緒になった知らない人であっても、頑張っている姿を見たらその人のために何かできることはあるかなって考えるんですけど、それもある意味では応援です。
誰かの努力に触発されて何か行動したいと思うこと。その感情が、今僕の考えている「努力を発揮できる場所作りやクライミングという競技の環境を向上させていきたい」という気持ちにも繋がっているんだと思います。