SPORTIST STORY
TENNIS PLAYER
宇野真彩
MAAYA UNO
STORY

競技者としての自分を脱ぎ捨て、テニスと共に歩む新たな道

「テニスで結果を残せなかった私に、社会で何ができるのか」――。テニス選手としての現役生活を20歳で終えた宇野真彩は、自身の存在意義を探し求めていた。勝てない日々に苦しみ、「こんなにつらいことをなぜ続けられるのか」と自問しつつ歩んだ競技人生。選手引退後は、美容の道を志すも違和感を抱き、再びテニスの世界へ。しかし、インフルエンサーとして新たな道を歩もうと努力する彼女を待っていたのは、SNSでの誹謗中傷や関係者からの冷ややかな視線だった。それでも、「目立ちたいわけじゃない、届けたい思いや自分なりの目的がある」と、新たなフィールドで発信を続ける日々。自身の経験を武器にテニスの新たな魅力を伝え、次世代に繋ぐ。迷いの中で見つけた「自分らしい在り方」と、活動を続けた今、思うこととは。

Interview / Ai Munakata
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada



成績が出せなかったからこそ選んだ、「引退」という前向きな決断





ーーまずは宇野さんの幼少期についてお話しいただけますか?

テニスを始める前は体力がなく、人見知りで気が小さいタイプだったんです。遊びたくても自分から誘うことができず、母に頼んで友達に声をかけてもらうような子供だったそうです。

ーー今の雰囲気からは意外ですね。

今は全然シャイじゃないんですけど、小さい頃は本当に内気でしたね。運動も得意ではなくて、運動会で活躍することもなく、マラソンや長距離走は特に苦手でいつも後ろの方。でも、テニスを始めてトレーニングを積むうちに、マラソン大会では1位を取れるようになりました。

テニスを始めたことで性格も大きく変わりました。もともとそんなに負けず嫌いではなかったのに、テニスを始めてからは自分を主張できるようになり、内気とは正反対の性格に。今の自分にも繋がっている、いろいろな物事を決断できる力のベースはテニスによって培われたように思います。

ーーテニスを始めたのは小学校3年生の時だったそうですね。

はい、私の妹と幼馴染の妹が先にテニスを習い初めて、それを見ていた母同士が「楽しそうだから、今度は姉たちも」となったようで、私と幼馴染も妹たちに続いて習い始めることになりました。

ーー当時の夢は?

お花屋さんになりたかったです。お花が好きで、おばあちゃんとお花の絵を描いたり、図鑑を眺めたりしていました。今でもよく友人や知人にお花を贈っていますね。

ーー綺麗なものや華やかなものに惹かれる気持ちは幼少期から芽生えていたんですね。

ただ、おしゃれは好きだったんですけど、今ほど熱心ではありませんでした。当時は競技が優先だったから、華やかなものへの関心はあるものの、最低限できる範囲でのおしゃれを楽しんでいました。



ーー高校卒業後すぐにプロとして活動を始められたそうですが、それ以前は自身の将来についてどのようなキャリアを描いていましたか?

実は、高校卒業後は大学に進学するか、選手として大会に出ていくかでかなり迷っていました。学生時代に思うような成績が残せなかったこともあって、「このままテニスを続けていいのか」という迷いもありましたし、「大学で実力を伸ばしてからプロ選手を目指す」という道も考えていたんです。

そんな中で進路を決められたのは家族の言葉があったから。悩んでいた時に、「これからもテニスを頑張りたいなら大学に行かなくてもいいよ」とポジティブに背中を押してくれたんです。「たとえうまくいかなくても、その時は別の道を探せばいいじゃない」と温かく見守ってくれたこともあり、深く考えすぎることなくテニスの道に進むことを決めました。

ーーその当時、何か目標などは掲げていましたか?

当時の仲間たちとは、「何歳までにこうなりたい」「このタイトルを取りたい」といった話もよくしていました。でも、そんな中でも、私は「そんなに長く現役生活を続けたくない」と思っていたんです。18歳の時点で「20代前半には辞めたい」と言っていたし、年齢関係なく「もし結果が出なければ、すぐ引退しよう」と思っていました。

周囲の友達の中には「27歳くらいで引退して結婚したい」なんて話す子もいましたが、私はそれを聞いた時、正直驚いて。「こんなに辛いことをどうしてそんなに長く続けられるんだろう」とびっくりしたんです。「早く辞めよう」と思っていたから実際結果も出せず、20歳で引退しました。

でも最初から完全にネガティブな思想しかなかったわけでもないんですよ。もちろん当初は「国内でステップアップして、将来的には海外でも活躍したい」といった理想もありました。

でも現実は厳しくて、国内大会に出てもなかなか勝てず、毎週のように負け続けることの辛さに自分自身がどんどん押しつぶされていきました。ネガティブ思考から抜け出せず、「何をやってもダメだ」と自己嫌悪に陥るようになり、精神的にもかなりしんどかった。「長く続けるのは無理かもしれない」という気持ちは、常にどこかにあったように思います。

ーーもしも、その辛さを乗り越えられていたら、まだテニスをやっていたと思いますか?

まだテニスをやっていたでしょうね。私は今年30歳になりますが、同世代の選手たちは今でも現役で活躍しているんですよね。だから、もし当時もっと良い成績が出せていたり、何かしらの手応えを感じられていたら、きっと今でも続けていたと思います。

ーー毎週負けたり成績を出せない辛さが大きかったとおっしゃっていましたが、それが宇野さんにとって大きな挫折だったということでしょうか?

うーん、挫折っていうのもちょっと違うんですよね。そもそも自分の中では、最初からずっと「上にいる」という感覚が無かったというか。自分は常に下だという意識だったので、挫折も何もないという感じなんです。

ずっと満足いく結果が出せていなかったので、「落ちた」とか「つまずいた」というよりも、「ずっと思い通りにいっていなかった」という方が近いかもしれない。

ーーだけどそれでも毎週次の試合に向けて調整して頑張って、きつい練習を続けて来られたわけですよね。学生時代からそんな大変な思いをされてきたのに、どうしてそれでもプロとしてテニスを続けようと思ったのか、気になりました。

たしかにそうですよね(笑)。でも、そんなふうに思いながらも、「どうせやるなら挑戦したい」って気持ちがすごく強かったんです。家族をはじめ、みんなが「テニスをやっている私」に期待してくれていたし、結果が出なくても挑戦することに対してすごく前向きだったんですよ。だから、私自身も前向きに考えられたところもありました。

あとは、学生時代に「あと1勝」とか「このボールが打てていれば」みたいなすごく惜しいところで負けることが多かったのもあって、それでちょっと諦めきれなかったところもありました。

ーー引退を決めた時、後悔はありませんでしたか?

そこは意外に思われるかもしれませんが、結構前向きな引退だったんですよ。むしろ引退直後は、「これから何でもやれる」と思っていました。



テニスを離れて気付いた正直な気持ち SNSが導いた第2のキャリア





ーー引退後すぐは、日々どのように暮らしていたのですか?

現役生活を終えたのは20歳の時ですが、その後すぐにコーチになるという選択肢は自分の中に無かったんです。引退した選手がコーチになるのはよくある流れなのですが、私はなんとなくすぐにその道には進みたくなくて。

そこで、家族が関わっていたアロマや美容系の分野を学ぼうと、地元の大阪に戻って美容学校に通い始めました。いろいろな美容関連の資格を勉強をしながら、テニス関連のアルバイトをしたり、まったく違う分野の仕事にも挑戦してみたりもしました。それまでアルバイト自体ほぼしたことがなかったので、そういった新しい経験はすごく新鮮で、気持ちのリフレッシュにもなりました。

そんな生活を1〜2年ほど続けていたのですが、いざ本格的に美容セラピストとして就職しようとしたとき、最初に面接を受けた会社がどうしても感覚的に合わなかったんです。

理由ははっきりと言い表せないんですけど、面接中に「ここでは絶対働きたくない」と強く思ってしまって。何を聞かれても頭に入らず、結果を見ないうちから「ここで働くのは無理だ」と感じてしまいました。

でも実はその時点で応募していたのは、その会社だけだったんです。だからそこがダメなら「他を探そう」となるはずなのですが、不思議ともう探す気力すら無くなってしまって。多分あの瞬間に、就職活動そのものに対するモチベーションも一気に下がってしまったんですよね。それで、結局テニスクラブでアルバイトとして働き始めました。

ーーいちどは離れたテニスに、再び戻ってきたんですね。

やっぱり私自身が、「楽しくない」と感じることは続けられないタイプだと改めて自覚したんです。

最初はコーチとしての経験が浅いこともあり、ジュニア選手やこれから選手を目指す子ども達を見ることが多かったです。プロになる前の選手たちに教えることは、そのまま自分自身がプロを目指している時に経験してきたことでもあるのである意味やりやすかったのですが、育成チームで本気の選手たちを担当するようになると、だんだんしんどくなってきてしまって。

というのも、本気で勝ちを目指している選手たちなので、当たり前ですがコーチも親御さんもみんなすごく熱量が高いんです。その雰囲気が、だんだん自分にとって重く感じられるようになってきてしまいました。なんとなく「また自分にとって辛かった場所に戻ってきてしまった」という感覚になってしまったんです。

そんな自分の感情に気付き、「このままでは生徒にもよくないな」と感じ始めた頃、以前お世話になった会社からいくつかオファーをもらったんです。その中で、たまたま私がモデルとして関わった仕事を見ていたテニスチームから、「テニスインフルエンサーとして活動してみないか」と声をかけていただきました。

当時「テニスインフルエンサー」という言葉はまだありませんでしたが、自分がSNSで発信して影響力を持つことができたら、家族にも何かしらの恩返しができるかもしれないと思いました。私の実家は自営業をやっているので、自分がこの活動で大きく成功しなくても、少しでもフォロワーが増えれば何かしらプラスになるかもしれない、と考え、活動も自然とそちらの方向へ移行していきました。そうやって少しずつ動き出したのが、今から5〜6年前のことです。

ーーインフルエンサーとしての活動は、最初から順調でしたか?

いえ、まったく順調ではなかったです。最初は当然インフルエンサーでもなんでもなくて、フォロワーもほとんどいない状態からのスタートだったので、「インフルエンサーとして活動する!」と決めてからとにかく毎日投稿を続けて、地道に努力してここまできた感じです。

今でこそフォロワーも増えていろいろなお仕事をいただけるようになりましたが、当初は完全に無名で、「急にテニスの投稿を始めた人」くらいの扱いでした。だから最初の頃は、毎日投稿している様子を見た家族や友人から「お前、どうしたの?」と心配されたり、ちょっと笑われたりもして。

テニス関係者の中にも、「この子、何してるの?」みたいな冷ややかな目を向ける人もいて、正直それはかなりつらかったですね。恥ずかしさや戸惑いもありましたが、それでも続けたことが、少しずつ結果に繋がっていったんだと思っています。

ーーその頃はどうやって生計を立てていたのですか?

テニス関連のバイトをしていました。当初インフルエンサーとしてはまったく収入がなかったので、最初の頃は本当にお金は一切稼げていませんでした。ただ投稿を続けていただけで、生活は普通にテニスコーチとしての仕事で支えていました。

ーーちなみに始めたばかりの頃の投稿内容は、どのようなものだったのでしょうか。

これは言っていいのか分からないんですけど(笑)、今でこそ女子力も若干はついてきたと思っているんですけど、投稿を始めた当初はずっとテニスしかしてこなかったスポーツ女子だったので、まずはカフェでの投稿と、テニスウェアを着てテニスコートで撮った写真を投稿するという2つを主軸にして、「テニス女子」みたいな雰囲気を出していこうと考えていたんですよ。

好き勝手に投稿しちゃうと投稿内容がバラバラになっちゃうから、そうやって一応自分の中でのメインテーマを決めて投稿するようにしていました。

最初のフォロワー数は、一応それまでもテニスをやっていたから2000人ぐらい。でもそれはみんな「テニス選手をやっていた私」のフォロワーなので。

ーー「インフルエンサーになろう!」と決めてから、ずっと投稿を続けてこられたこともすごいと思います。

やっていくうちになんとなくコツを掴むことはできましたが、それまではもう投稿することに疲れちゃって、毎日ぐったりしてました。だって、そんなに投稿するような写真なんて日常の中に無いじゃないですか(笑)。だから当時は会った人全員に一緒に写真を撮ってもらっていました。

写真だって別にもともと上手いわけじゃないからいろんな撮り方を試してみたり、素材を使ってみたり。写真以外にも、どんなタグをつければいい反応があるかなど、アップした投稿のデータを参考にいろいろ試していました。

今はInstagramにリール機能がありますが、始めた頃にはまだ無かったので、投稿をアップする時間、日にち、タグなどを研究しては投稿するということを続けていました。

ーー当時、目標にしていた方はいますか?

当時は、テニスをテーマにSNS投稿している人がほとんどいなかったので、テニス業界で参考にできるような存在はいませんでした。自分がどう発信していくかも、手探り状態だったんです。

だから、Instagramを始めた頃は、テニスとは関係のない可愛いモデルさんたちの投稿をよく見ていました。「この子は素敵だな」「この投稿はちょっと苦手だな」と感じた時に、じゃあなぜそう思うのかを自分なりに分析していったんです。ある意味、それがすごく勉強になりましたし、自分の発信の方向性を決めるヒントにもなりました。

やっぱり、自分がやるからには「女性から嫌われない投稿」にしたいという想いも強まりました。投稿するなら、見てくれている家族や女友達が見て不快にならない投稿にしたい、という気持ちは今もずっと自分の中にポリシーとしてあります。

最初は「女子ウケ」をすごく意識していましたし、あくまで爽やかに自然体で、好感の持てる発信を心がけていました。なので、テニスが好きな女性インフルエンサーを参考にするというよりは、幅広くいろんなジャンルの方を参考にして、自分なりのスタイルを少しずつ作ってきた感じです。

ーー現在はYouTubeチャンネルも運営されていますよね。

Instagramを始めたのが5〜6年前なのですが、その当時から「YouTubeもやってみたら?」とよく言われていたんです。でも、その頃はInstagramを続けるだけで精一杯で、正直YouTubeまで手をひろげる余裕がありませんでした。

少しずつInstagramのフォロワーが増えてきた頃も、「今これだけ頑張っているのに、さらにYouTubeまで頑張るのは無理だ」と思っていましたし、何より自信がなかったんです。やってもパッとしないんじゃないかって思って、ずっと避けていました。他の方の動画に出演することはあっても、自分自身のチャンネルはずっと持ちたくなかったんですよね。でも、去年からようやく自分のチャンネルをスタートしました。



ーー「インフルエンサー」として名乗れるだけの自信がついてきたのは、いつ頃ですか?

実は、今も自分で「テニスインフルエンサー」とは名乗っていないんですよね(笑)。テニス業界の中では比較的フォロワーが多い方になるのかもしれないけど、まだまだ数字自体もインフルエンサーと名乗れるほどではないと思っていますし。

でも仕事として順調に回り出したのは3、4年くらい前だったかな。ちょうどコロナの前あたりです。東京コレクションのランウェイを歩かせてもらってから、少しずつ仕事が増えてきました。そこから投稿や私が出演したものがバズることがあって、認知度が上がってきて、だんだんいろいろなイベントなどに呼んでもらえるようになりました。

ーーその数年で、投稿内容に変化はありましたか?

活動を始めたばかりの頃は、テニスを辞めた直後だったのもあって、ウェアを着た写真を投稿しつつも、テニス関連の投稿をすることに若干の抵抗もあったんです。今思うと、ちょっと矛盾してますよね。でも当時は、テニスに対してコンプレックスを抱えていたんです。

最近では「フォームがきれいなのでお手本にしたい」と言ってもらえることも増えましたが、当時は自分のプレーを見せるのが本当に嫌で。テニスラケットを持ってコートで撮った写真は投稿しても、実際にプレーしている動画は極力避けていました。

でも、たまに少しだけプレー動画を載せてみたら、その動画の反応がすごく良くて。「あ、やっぱりこういうものが見られるんだな」と気付いたんです。そこから少しずつ、自分の発信の仕方にも変化が出てきました。

あと、数年前からInstagramの流れがリール中心に移行してきたのも、投稿内容が変わるきっかけになったように思います。

私の場合、リール投稿が伸び始めたことがフォロワー増加のきっかけにもなりました。「リールってやっぱり大事なんだな」と実感してからは、テニスに関する動画の発信を意識的に増やすようにしました。

写真だけでは伝えきれない動きや雰囲気が伝わることで、より多くの人に興味を持ってもらえるようになったと感じています。

ーー今、コンプレックスは完全に払拭できていますか?

自分のテニスには、正直今でもあまり自信はないんです。でも、コツコツSNSを続けてきたのは、自分がやってきたことを仕事に繋げたいという思いがあったから。

最初はリールに自分のテニスを載せることに強い抵抗があったけど、実際にのせてみると、それがすごく近道になると気付いたのも大きかった。コンプレックスにとらわれている場合じゃ無いなと思いました。

投稿を続けていくうちに少しずつ慣れてきて、自分のテニスへの自信というよりは、「目標を実現するために必要な手段」としての自信が持てるようになりました。

ーー宇野さんは、自身の強みを客観的に分析する能力に非常に長けている印象です。そういった力はどのように身につけてこられたのでしょうか。

私自身は、客観的に自分を見られているとは全然思えないんですけどね(笑)。でも私の学びは、すべてSNSを通して得たものだと思っています。もちろん個々のキャラクターにもよるとは思うんですけど、私の場合は「どうなりたいか」をしっかり決めて考えたのが良かったのかな。

ーーそれは具体的に言うとどういった部分ですか?

たとえば、簡単に言えば「敬語なのかタメ口なのか」といった言葉遣いもそう。あとは投稿の雰囲気もあまり崩しすぎず、でも親しみやすさも感じられるように、バランスを大事にしています。

あとは悪い反響を生まないように、自分自身で気をつけている部分もあります。たとえば、露出の多い投稿をすれば数字を稼ぐことはできるかも知れないけど避けています。それは自分自身のためというよりも「お母さんが見たら嫌だろうな」と思うから。

まぁ私自身がそんなことを細々考える以上に、私の場合は家族が投稿前にしっかりチェックしてくれているので、むしろダメ出しされることも多いんですけどね。「この写真はちょっと微妙」とか「これはちょっとやりすぎ」とかも、はっきり言われます(笑)。

だけどそういう存在として家族がいてくれることは、すごく心強いです。



「私は何者でもない」等身大の発信が変えたテニスとの関わり方





ーーSNSの良くない特性として、それだけ気を配っていても中傷されることもありますよね。宇野さんはそのようなことで悩んだことはありますか?

誹謗中傷はやっぱりありました。中傷を目にして、嫌な気持ちになったこともあります。特にコロナの時期には「お前はこんなときに何をしてるんだ」みたいなコメントもありました。もともと私はそんなに誹謗中傷が多い方ではなかったんですけど、たまに目にするとやっぱり落ち込みましたね。

でも、最近はかなり減ってきたんです。芸能人の方がSNSでの誹謗中傷を受けて亡くなるというような悲しいニュースが世間で取り上げられるようになってから少しずつ減ってきたので、社会全体で意識が変わってきたのかなと感じています。

私自身も、今ではそういったコメントが来ても、あまり気にしなくなっています。もちろん、ひどいものは自分で削除したり、見たくないときは運営側に対応してもらったりして、自分で距離を取るようにしています。だから今は大丈夫。最初の頃に比べたらだいぶ平気になってきましたし、心の整理の仕方も覚えてきたかなと思います。

ーーあまり気持ちの良い話ではありませんが、中傷というのはネット上だけに限らないですよね。先ほど少し触れられていましたが、活動を始めた当初は、テニス関係者の方々からも冷ややかな視線を感じる場面があったとお聞きしました。

そうですね。それがすべての理由ではありませんが、おそらく前提として、テニス競技で安定した収入を保てている選手が少ないことも中傷に繋がっていたのかなと考えました。

今でも正直なところ、テニスという競技は、選手全体で見ればそれほど大きく稼げるスポーツではありません。一部のトップ選手を除けば、収入面で安定している選手はごくわずかなのが現実です。そういった環境の中で選手たちはスポンサー獲得に一生懸命取り組んでいますが、実際に「なぜスポンサーがつくのか」「重要性は何か」といったことを深く理解していないケースも少なくありません。私自身も、当初はそうでした。

だから、現役選手でもない私がSNSに力を入れて知名度が上がっていくことに対して、やはり快く思わない人もいたのだと思います。実際に選手が私のことをXなどに投稿しているのを目にして、悲しく感じたこともありました。

ーーそんな状況を当時どう受け止めて、消化してきたのですか?

対策としては、人に会わないようにしました(笑)。私の場合は特に同性の選手からの目線が苦しかったので、トーナメントなどでどうしても行かなくちゃいけない時はちょっとだけ行ってすぐ帰るなど、なるべくテニスプレイヤーやテニス業界の人と交流を持たず、仕事以外で関わらないようにしていた時期もありました。そうしていれば疲れないし、嫌な情報も入ってこないから。そうやって自分を守っていました。

でも、私は「目立ちたい」ためにやっていたのではなく、しっかりと自分なりの目標があったからこそ、どんなことを言われても続けてこられたと思っています。そうやって自分を守っていた時期のおかげで交友関係も上手く整理されましたし。

今では、YouTubeやInstagramを積極的に活用する選手も増えてきて、当時とはずいぶん空気が変わりました。以前はSNSに取り組む人を軽視するような発言や雰囲気があって、居心地の悪さもありましたが、今はむしろ「やらなければ」という意識が広がっていて、「教えてほしい」と声をかけてくれる人も増えました。そういった変化を、私自身とても強く感じています。

ーー宇野さんは目的を明確に持っていらっしゃるから、自分を強く持っていられるのですね。

この数年でメンタルはだいぶ強くなりましたね(笑)。でもやっぱり今でも「人に会いたくない」「なんだか居心地が悪い」と思う時もありますよ。そういう時は「でも別にいいや」って思うことにしています。「気にしない、気にしない」って。

ーーじゃあ「辞めたい」と思ったことも無い?

無いですね。「私はこれで仕事をしているんだ」って強く思っているので、何か言われてもやめようとは思いませんでした。

ーーネット上でも現実でも、不特定多数の人にいろんな意見を言われることも多いと思います。自身の思いを齟齬なく伝えることができればいいですが、それが届かないこともある。そういったことに対する葛藤はありますか?

うーん……。でもね、こう言うとそれこそ語弊があるかも知れませんが、実はSNSで本音を表に出したことなんて無いですよ、ずっと。

私はもともと、文字で自分の思いを表現するのが好きではなくて。だから、自分が「何者であるか」とか、「私はこういう人間です」といった強いメッセージ性のある発言や投稿は、ほとんどしてきませんでした。投稿の内容もすごくライトなものが多いんです。

「自分は何者でも無い」と思っているから、テニス関連の投稿はしても、長々と自分の考えを綴ったり、強い主張をしたいわけではないんですよね。

だからできるだけ短い文章で、「誰かに何かを伝えたい」というよりも、あくまで自分の日常やテニスを、軽やかに発信することに重きを置いています。自分の目標を声高に語ることもせず、批判されたとしても言い返すようなこともせず、ただ淡々と、テニスや日常のことをゆるく発信していたのは、そういうスタンスだからです。

ーー勝手な憶測で恐縮なのですが「インフルエンサー」として活躍されている方々は、皆さん自分の意見や存在を発信したいものだと思い込んでしまっていたので、今の宇野さんの発言は衝撃でした。

私は一般的なイメージとして語られる「インフルエンサー」とは多分真逆のタイプですよ。だって根本的に、自分に自信がまったく無い人間だから。誇れるものがないんですよね。

ーー自身の肩書きとして、「インフルエンサー」と呼ばれるのは本意ではないところもあるのでしょうか?

そうですね。正直、自分自身でもどう肩書きを名乗ればいいのか、まだはっきりわからない部分があります。「テニスインフルエンサー」と呼ばれてはいますが、あまりしっくりこないというか、正直そこまで嬉しい言葉ではないんです。なので、その点は今も少し悩んでいるところです。

それに、私も一応「インフルエンサー」という枠に入れていただいてはいますが、一般的にイメージされる「インフルエンサー」とは少し違うような気がしていて。

ーーと、言うと?

たとえば本格的なインフルエンサーの方は、1投稿で何十万円という報酬を得る人もいますし、企業案件や再生回数によって収益を得ることが活動のメインになっていますよね。でも私の場合はインフルエンサーと言っても、あくまで活動のベースにあるのはテニスなんです。SNSはあくまでその集客や認知のための手段として活用しているつもりです。

今でもグループレッスンを行っていますし、全国各地でイベントを開催したり、合宿を企画したりと、現場でしっかりテニスに取り組んでいて、最近では、海外での日韓戦や女子サークルといった活動にも携わっています。

SNSから直接収益を得るというよりは、「SNSを通じて私の存在を知ってもらい、そこからリアルな場につなげる」というスタンスで取り組んでいるので、この発信をどう活かしてどんな形で将来に繋げていけるかも、肩書と同じく、まだ模索しているところなんです。

ーー最近では「テニス女子サークル」の活動に力を入れてらっしゃるようですね。

先ほど少し話しましたが、実はYouTubeを始めたのもこの活動のためなんですよね。それまでも「やってみてもいいかな」と思う気持ちはあったんですけど、正直、自分の中で「何のためにやるのか」という明確な目的がなかったから先送りにしていたところもあって。

でも自分で立ち上げた「女子サークル」の活動をやっていくうちに、「どうしても日韓戦を実現させたい」という目標ができたんです。それを実現させるためにはスポンサーの協力が必要だと感じたので、「スポンサー獲得に繋げるためにYouTubeを始めよう」と思ったのがチャンネル開設に踏み切る大きなきっかけでした。

それまでずっと自分ひとりで完結していた活動も、このサークルをきっかけに「誰かのために動く」という要素が加わって、「このためにYouTubeをやるんだ」と自分の中で明確になった瞬間があったんです。そこから本格的に取り組もうと決めました。

ーー宇野さんは以前のインタビューで「テニス業界を盛り上げたい」とおっしゃっていましたが、そのためには具体的にどのような活動や取り組みが、業界を盛り上げるとお考えですか?

そうですね。テニスを辞めた当初は、業界を盛り上げるといっても、「良い選手を育てること」や「地方の体育館などでテニスを広めること」くらいしか思いつかなかったんです。でも、それがきっかけで「テニス女子サークル」を立ち上げる流れにもつながっていきました。

振り返ってみると、私が取り組んできた活動って、テニス業界であまり前例がなかったものが多いんです。たとえば、テニスリトリートツアーや女子サークルのように、「テニス×新しい切り口」の取り組みを始めてみたり、SNSを活用した発信や、いわゆる「テニスインフルエンサー」としての活動も含めて、これまで誰も手をつけていなかった領域に挑戦してきました。

最初は「テニスに関わること」や「育成指導に携わること」こそが、業界への恩返しだと思っていたんです。それが正解だと思っていたし、自分にできることは限られていると感じていたから。

でもさまざまな活動を続けるうちに、「そういう王道の役割は、もっと実績のある選手や有名な方が担うべきなのでは」と思うようになって。私は、自分の経験とSNSを活かして、「テニスと何かを掛け合わせて新しい価値を生み出す」という方向の方が、自分らしく貢献できると考えたんです。

活動を通して、「こういう形でもテニスに関われる」「こんな広げ方もあるんだ」と発見することがすごく楽しくて。誰もやってこなかったことにチャレンジする楽しさや手応えがあるからこそ、今も続けてこれているんだと思いますし、それこそが自分のできる盛り上げ方なのかなと思っています。

ーー自分なりのやり方で業界を盛り上げることは、自身の活動を広げることにも繋がっているのですね。

そうですね。そういった活動を続けてきたことで、自分自身ができることの幅も確実に広がりました。

先ほどお話ししたテニス女子サークルの日韓戦を実現できたことや、日本プロテニス協会の方々にも関心を持っていただけるようになったことなど、自分なりに一歩ずつ成長してこられたと感じています。

実は韓国では近年テニスが爆発的に流行していて、日本には無いようなカラフルでユニークなテニスコートが次々と作られているんです。単なるテニスコートではなく、デザイン性のあるショッキングピンクやオレンジ、パープルなど、見たことの無いようなコートが増えていて、それがとても新鮮で魅力的だったので、こういったムーブメントを多くの方に伝えたいと思い、発信し続けていました。

それと同時に、「テニス女子サークルを通じた活動をもっと広げたい、力を貸してほしい」と、さまざまな方に働きかけていたところ、日本プロテニス協会の役員の方とお話しする機会があり、「ぜひ講師としてお話してほしい」とお声がけいただいたんです。

正直、プロテニス協会という場で話すことへの不安もありました。しかもスライド資料を作るのも初めてだったので、1時間の講演は大きなチャレンジでしたが、私はあえて「映えるサークル」というテーマで、女の子たちが可愛いウェアを着てテニスを楽しんでいる風景や、韓国で人気のカラフルコートの写真を盛り込み、自分がSNSでどう発信してフォロワーが増え、それがどう仕事に繋がっているかを、具体的な数字や事例を交えて話したんです。

どんな反応が返ってくるか不安もありましたが、講演後には協会の役員の方々から「これまでテニス業界に長くいたけれど、まったく知らない新しい世界だった」「こうして韓国でテニスが盛り上がっているのは本当に興味深い」と、温かい言葉をたくさんいただきました。

その後、実際に協会の韓国視察に同行させていただいた際は私が現地を案内したり、私が日韓戦を開催した際には協会関連の企業からスポンサー協力もいただけたりと、嬉しい結果に繋げることができました。本当にありがたかったです。

この一連の流れは、私がコツコツ取り組んできた活動がテニス業界の中でも認めてもらえたと感じられた出来事で、心から「応援してもらえた」と実感できた、大きな経験でした。



応援とは、「頑張るための原動力」





ーー今後の目標はありますか?

目標については、実はこれまでも何度も聞かれてきたんですが、正直なところ今、明確な目標って無いんです。一般的には「自分のテニスチームを作りたい」とか、何かはっきりしたビジョンを持つ人が多いと思うんですが、私はそういったものを特に持っていなくて。むしろ、目標がないからこそ今の自分があるのかなと思っています。

その時その時に「これいいな」「やってみたいな」と感じたことに柔軟に取り組めるように、常にフレキシブルでいたいという気持ちが強いです。今も目の前のことに集中しながら、その都度やりたいことを見つけて動いていく、というスタンスで活動しています。

ライフスタイルも年齢とともに変化していきますよね。以前はモデルのお仕事をさせてもらうこともありましたが、もうすぐ30歳になりますし。だから今後は結婚や出産、さらに年を重ねておばあちゃんになっていく、その一つひとつの過程も全部、仕事として繋げていけば素敵だなと思っています。

今すぐ「これがやりたい!」と明確に言えることは無いけど、今、目の前にあることを丁寧に頑張りながら、そのときの自分のライフステージに合わせて新しいことを見つけていきたい。それが今の私の理想の在り方です。

ーーこれまで生きてきた中で、宇野さんが「すごく応援してもらったな」と感じた瞬間は、競技をしていた頃の方が多いですか?それとも、競技生活を終えて現在の活動をされている今の方が多い印象ですか?

選手時代も家族にずっと背中を押してもらっていましたが、テニスを辞めてからの方が、応援されていると感じる機会はずっと多いですね。競技生活中は自分のことで精一杯だった部分もあって、周囲の応援をきちんと受け止める余裕がなかったのかもしれません。

でも、今はSNSを通して多くの方に見てもらえる機会が増え、コメントをもらったり、イベントやレッスンで直接声をかけてもらえることも多くて、「応援してもらっている」と実感する場面がすごく増えました。

そういった言葉や反応が今の活動の支えになっていますし、選手時代とはまた違った形で、人の温かさを感じられるようになりました。

ーー今、フォロワーや応援してくださっているファンの方々に改めて何かを伝えられるとしたら、どんなことを伝えたいですか?

最初の頃は、自分を作り込んで無理に女性らしさを演出しようとしたり、いろいろ考えたりしていました。でも年を重ねるにつれて、少しずつ自然体の自分も上手く出せるようになってきたと思います。それによってすごく楽になったし、最近はより活動が楽しく感じられるようになりました。

私が活動を始めた頃からずっと見てくださっているファンの方をはじめ、活動を応援してくださっている方には、そういった変化や成長も感じてもらえたら嬉しいですし、自分が楽しんでいる姿から、少しでも前向きな気持ちになって貰えたらいいなと思います。

ーー最後に、宇野さんにとって「応援」とは何でしょうか。

「いいね」や日々の投稿へのコメント、実際にお会いしたときに声をかけてもらえることなど、どれも本当に嬉しくて、活動を続けていく大きな力になっています。

だから、私にとっての応援は、頑張るための原動力です。

私自身も、これからも「応援し続けたい」「見ていたい」と思ってもらえる存在でありたいですし、投稿の内容だけでなく、人としてもそう思ってもらえる自分でありたいと思っています。