SPORTIST STORY
BASEBALL
酒井 捷 副主将
SUGURU SAKAI
STORY

才能と努力の交差点、勝利へのアプローチ

SPORTISTが東京大学野球部の真髄に迫るインタビュー特集。
学生野球の最高峰・東京六大学リーグにおいて、東大野球部「らしさ」を守りながら勝利を目指すためにーー。副主将・酒井選手は、民主的なチーム運営の中で何を感じ、どう行動してきたのか。自身の成長、悔しさと向き合う姿勢、そして応援に支えられてきた日々について、内に抱えた想いを明かしてくれた。

Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada
Interview date / 2025.05.14



「センス」と「努力」を切り分けて考える、東大野球部の思考法





ーー東大野球部は、酒井さんの目から見てどのようなチームだと表現できますか?

一言でいえば「民主主義」だと思います。たとえば一般的な野球の強豪校では、監督が絶対的な存在で、指示に従って練習を進めていくスタイルが主流です。選手間にも格差があり、レギュラーは練習中心、1年生や試合に出ない選手はボール拾いや雑務を担当する。そんな形が今でも多く見られると思います。

でも、東大野球部は全くそういった面を持ち合わせていません。部員同士がお互いをリスペクトしていて、チームの運営も部員主体で行っているのが大きな特徴です。

「このやり方はちょっと違うんじゃないか」といった意見も自然と共有され、理不尽さや不平等が常に見直されていく。そうした意味で、非常に民主的な部だと感じています。

ーーその印象は、入部前から持っていたものですか?

いえ、入部前はそこまで意識していませんでした。ただ、自分の学年が上がり、副主将という立場でチーム全体を見ていく中で、強く感じるようになった点です。

民主主義は一見すごく良いもののように思えるかもしれませんが、実際はけっこう大変なんです。たとえば、監督が「お前は使わない」とはっきり線を引けば、その選手は確かに悔しい思いをするかもしれません。でも、それによって他の選手に出場機会が回り、実力のあるメンバーが経験を積んで、勝利に直結する可能性が高まります。

しかし、東大野球部ではそういった上下関係や一方的な采配はありません。部員それぞれが話し合いながら、調整しながら、より良いチームをつくろうと動いていく。学年があがり、そのプロセスを経ていくうちに、それぞれがより民主主義を意識するようになってきます。

ーー今のお話を伺っていて、ひとつ感じたのですが。もちろん揚げ足を取るつもりはまったくありませんが、「民主主義」や「自主性」を大切にするあまり、勝利から遠ざかってしまう部分もあるのではないかと感じまして。

まったくないとは言えないと思います。だからこそ、僕たち4年生やリーダー的な立場にあるメンバーが意識すべきなのは、「いかに民主主義的な東大野球部の良さを保ちつつ、効率よく勝利を目指すか」という点です。工夫とバランスが求められる部分ですね。

ただ、僕の考えとしては、「東大野球部らしさ」を壊してまで勝利にこだわることが本当に勝ちに繋がるかといえば、必ずしもそうではないと思っています。むしろ、より良い部活をつくることが、結果的に勝利へと繋がる。そう信じて日々の活動を続けています。

ーー東大野球部の成績に対する評価は現状芳しいものではありません。そうした評価がついてしまう理由について、酒井さんはどのようにお考えですか?

もう、それは単純に「野球が下手だから」です。それに尽きると思います。

ーーその「上手・下手」の差を言語化すると、どのような違いがあるのでしょうか。

まず自分の中で、野球の能力は「センスが必要なもの」と「センスが必要ないもの」の2つに大きく分けられると思っていて。

センスが必要なもの、いわゆる「野球センス」は、たとえば球速150キロの球を投げる、ツーストライクからのボール球のフォークを拾ってセンター前に打つ、ギリギリで追いついた打球を取って正確な送球でアウトにするといった類のもの。そういうギリギリのプレーをうまくやれちゃう選手って、確実にいますよね。

それはもちろん幼少期からの努力の積み重ねがあってこそのものだとは思いますが、じゃあそれを今の僕たちが同じように求めるべきか?と考えると、ちょっと違う気がしていて。

一方で、センスがあまり必要ない部分もあると思うんです。たとえば、ウエイトトレーニングをする、体重を増やす、アウトを確実に取る、正確なキャッチボールをする、バッティングで粘る、バントを確実に決めるといったようなこと。

どれも簡単なことではありませんが、僕達でも努力すればできる領域と「これから練習し始めたとして何年かかるの?」というような、生来のセンスが求められる領域とで二分できるんじゃ無いかなと。

そのうえで、「野球が下手な理由」について言えば、自分たちには前者の「センスがある選手」が圧倒的に少ないからだと思います。

そのセンスはどうやって磨かれるのかといえば、小さい頃からずっと野球をやってきた経験だったり、もともとの運動神経の良さだったり、そういう部分が大きいと思うので、それが不足している結果、部の弱さに繋がっているのだと思います。

ーー同じような観点の話を杉浦主将もされていました。センスの部分と、あとは分析を通じて準備することで補える部分があると。

そうですね。分析や研究で補うことは、自分たちにも十分可能だと思います。



自身を成長させるために必要なのは「負け」と真正面から組み合うこと





ーー先ほど「野球が下手だから勝てない」と仰っていましたが、1年生の時と比べて、ご自身の中で「上手くなってきたな」と感じることは多いですか?自身の成長や上達を感じるのはどのような時でしょうか。

やはり打率が上がった時ですね。僕は2年の秋にベストナインを取ったのですが、それは自分の中でもかなり大きな結果でした。打率が上がる、試合に出られるようになるといった変化は、自分の成長を感じるきっかけになりますね。

ーーやっぱり、数字として結果が出ると、実感もしやすいですよね。

でも、上達が数字に出ない時もあるんです。

例えば、今そんなに打てていなくても、「2年の時より下手になったか?」と聞かれれば、絶対に「上手くなった」と答えられます。それは、自分の中で道筋や計画を立ててきて今があるので。確実に成長を感じながら練習はできているんですけど、結果に結びついてこない。実際、今まさにそういうパターンを経験しているところです。

ーー上手くなっているはずなのに数字や成績がついてこないというのは、酒井さんにとって初めての経験ですか?

そうだと思います。

ーー初めて訪れたその経験に対して、どのように向き合い、解決・改善されていこうとお考えでしょうか。原因は見えていますか?

原因ですが、冬の間に行っていた練習の方向性が良くなかったのかなと考えています。特に自分の場合はバッティングの話なんですけど、実践に即していなかったなと。

冬の練習では、クローズドなスキル、こういう打ち方をしてこう飛ばすとか、スイングスピードを上げるとかそういうことばかりにフォーカスしていました。でも実際の試合では、相手ピッチャーがどんな球を投げてくるかわからない中でバッティングするという、オープンなスキルなんですよね。冬の努力は実戦に即していなかったというか、ベクトルが自分に向きすぎていたかもしれないと思う時があります。

ーー上達が勝利に近付くことは間違い無いですが、相手ありきの試合であることを前提においた練習とのバランスが難しいところですよね。

そうですね。例えば、ホームベースにティースタンドを置いてティーボールを打ったら、1年の時よりは今の方が圧倒的に上手いと思います。でも、そういうことじゃないんですよね。実際の試合では相手ピッチャーがいる。

たぶん今は、1、2年の時よりも出力やパワーは確実に出せていると思います。ただ、いくらパワーがあっても、うまく当てられなければ意味がない。そこが足りなかったというか、パワーやスピードにばかりフォーカスしすぎて、相手への対応に目を向けきれていなかったのかなと。いろんなことを考えますね。

ーーそれは、今年に入って試合が始まってすぐに気付いたんですか?

いえ、リーグ戦が始まってから気づいてしまったので、それが良くなかったですね。本当は3月のオープン戦の段階で気付きたかったんですけど。

3月もあまり調子が良くなくて、でも少しは打てていたんです。オープン戦の相手ピッチャーのレベルはリーグ戦よりも下がることもあって、何となく打ててしまった。その結果、「自分はただ調子が悪いだけだ」と思い込んでしまったんです。

だから3月はずっと「これまでやってきた方向性は間違っていない」「あとは実戦感覚を取り戻すだけだ」と考えていましたが、今振り返ると、そもそも冬の練習の方向性が間違っていたのかなと。もちろん、実際にどうかはまだわかりません。でも今、自分の中ではそう感じています。

ーーじゃあ、今ご自身で分析されていて、ボールにコンタクトする部分や、配球を読む力、どう当てるか、スイングをどう乗せていくかといった点を高めていけば、また打てるようになると?

そう仮説を立てています。

ーー上手くいかない時に、「それはなんでだろう」「こういう仮説がある」「じゃあ試してみよう」と論理立てて野球に取り組む力は、これまでの学習や受験などを通じて身につけた思考の習慣なのでしょうか。

PDCAを回す習慣は、たしかに受験で身につけたスキルかもしれないですね。受験勉強って、特に点数で成果が見えやすいですしどこが苦手かも明確になるので、そういった姿勢が野球にも活かせているのかもしれません。

ーーPDCAを日常的に意識して考える部員が多く、なおかつ民主主義。一見スムーズに勝ち進めそうな印象ですが、相手がいてこその野球なのでそう簡単でもない。結果が出ないとなるとメンタルのコントロールが難しい場面もあるのではと思ったのですが、杉浦主将も酒井さんもとても良い状態を保って野球に取り組めていますよね。秘訣があるのでしょうか。

まず大前提として、僕は野球がめちゃくちゃ好きなんですよ。だから練習が苦だと思ったことはあまりないです。冬もかなり練習しましたけど、「やりたくないな」と思うことは、体調が悪い時や疲れが溜まっている時くらいで、メンタル的に「もう嫌だ」と思ったことはいちどもないです。もちろん、これは自分の場合なので、全員がそうだとは思いませんけど。

ただ、やっぱり「勝てないこと」に対するフラストレーションはかなりあります。ただ、それが必要だとも思っているんですよね。

リーグ戦では、10戦10敗することも普通にあるんですけど、負けに慣れちゃいけないという考え方がどこかにあって。「今日は負けたけど、いつか勝てるだろう」と思ってしまうのは、絶対にダメだと思っています。だからこそ、僕はそのストレスに正面から向き合うことにしています。

ーーそれは「なぜ負けたか」「次はどうすれば勝てるか」を考え続けるということ?

それもありますし、まずは「負け」そのものをちゃんと悔しいと思うこと。

正直言って、外から見れば、僕たちと早稲田や明治が試合をしてどっちが勝つかは明白なんです。でも、下馬評通りに負けて「しょうがないよね」で終わるのは、絶対に違う。

負けた時に悔しさを失ってはいけない。それは常に意識しています。だから「勝てないことへのストレス」は、真正面から受け止めるようにしているんです。それが、自分なりのメンタルとの付き合い方です。

ーー少し話は逸れますが、東大への進学と野球の継続を両立していくことについて、難しさを感じたことはありませんでしたか?特に、野球に軸足を置いて進学を考える場合、強豪校への進学という選択肢もあったかと思います。それでも最終的に東大への進学を選び、東大野球部に入部された理由について教えてください。

僕は高校の時から、大学では東大で野球がしたいという思いがありました。理由は一言で言うと、六大学野球の舞台でプレーしたいと思ったからです。六大学は、日本の大学野球の中でもトップレベルの環境。その舞台に、自分も立ちたいと強く思っていました。

ただ、自分の実力を考えた時に、早稲田や明治などの他大学で試合に出られるイメージが持てなかったんです。そういう意味ではちょっと裏道的というか、「東大野球部なら試合に出られるかもしれない」と思いました。

試合に出ることができれば、プロに進むようなピッチャーとも対戦できる。だから、「勉強を頑張って、六大学の舞台に裏ルートから入ってきた」という感じですね。

ーー神宮の舞台に立つことが、まず最初の目標だったのですね。

はい、そこを最優先に考えていました。「どうすれば神宮に立てるか」と考えた結果、東大を目指す選択に至った形です。実際、野球がモチベーションになって、勉強にも力を入れることができました。

ーー今まさに「部活を取るか、進学を取るか」で悩んでいる高校生にとっても、参考になる話だと思います。

そうですね。大事なのは、「自分にとって何が一番大切か」をしっかり考えることだと思います。「どこに目標を置くか」で、選択肢の見え方も変わってくるはずです。

「どちらか一方しか取れない」と思いがちですが、両立は十分に可能です。必ずしもどちらかを捨てる必要はないということは、自分自身や東大野球部の同期たちの姿を見ていても感じています。



応援とは、「球場で共に戦う仲間」





ーーそして今、酒井さんは実際に六大学リーグのグラウンドに立たれているわけですが、神宮には東大野球部を応援する熱心なファンの方々も多くいらっしゃいますよね。試合中、その応援の存在を感じていますか?

はい、もちろん感じています。打席に立っている時は集中しているので周りがまったく気にならなくなる瞬間もありますが、守備に向かう時や打席以外の場面では、歓声や拍手がしっかり聞こえています。

試合以外の場面でも、応援部の方々が応援に来てくれたり、いつも応援してくださる東大ファンの方が練習を見に来てくださったりするんです。その姿を見るたび「自分たちは応援されているんだな」と実感します。

ーー酒井さんがこれまでの人生の中で、「この応援は本当に嬉しかった」と強く印象に残っている出来事があれば、ぜひ教えていただけますか。

応援といえば、高校時代に受けた応援が強く印象に残っています。

僕の母校・宮城県仙台第二高等学校は伝統のある学校で、いわゆる「バンカラ」な応援団文化が残っているんです。彼らは長ランを着て髪を伸ばして、といったスタイルで、独特の空気感がありました。

そんな彼らからの応援の中でもいちばん心に残っているのは、仙台一高との定期戦です。楽天の本拠地である球場を使って、毎年大きな行事として行われるのですが、僕たちの代はコロナ禍だったこともあり、声出し応援が一切禁止されていました。

応援団にとって声を出すことを禁じられるというのは、それこそ僕たちがバットやグローブを取り上げられるのと同じような感覚だったと思います。大切な「武器」が使えない状況の中でも、彼らは本当に懸命に、僕たちに思いを届けようとしてくれました。

試合は負けてしまったんですが、翌日、僕は応援団長に直接お礼を伝えに行ったんです。彼は3年8組で、僕は3年2組だったんですけど、8組の教室に行ったら野球部のメンバーも応援団もみんな泣いていて。「ここまで自分たちのことを、本気で応援してくれている人がいるんだ」と実感しましたし、自分は本当に恵まれているなと心から感じた出来事でした。



東大野球部に入ってから受けた応援で言うと、2年の冬に参加した侍ジャパン日本代表候補選手強化合宿での出来事を、印象的に覚えています。

合宿は愛媛県の松山市で行われたのですが、会場に入ると東大ファンの方々がたくさん駆けつけてくださっていました。東京から松山までは決して近くない距離ですし、交通費や時間の負担も大きいはずです。それなのに、いつも神宮で見かける顔なじみのおじさんやおばさん、お兄さんやお姉さんの姿が来てくれているのが見えて嬉しかったです。

さらに、練習が終わった後には取材の時間があったのですが、宗山選手(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)や渡部選手(現・埼玉西武ライオンズ)といった、ドラフト候補の有名な選手たちも取材を受けている中で、自分も当時2年生で東大生という話題性もあったからか、ありがたいことに取材をしていただけたんです。

ただ、僕の取材が遅めだったこともあって、徐々に他の選手も引き上げていき、取材が終わる頃には自分ひとりがグラウンドに残っているような状況でした。そんなふうにかなりの時間が経っていたのに、スタンドには東大ファンの方が数人残ってくれていて、「酒井くん、お疲れさま」と声をかけてくれたんです。

ーー取材が終わるまで、かなり長い時間見守ってくださっていたのですね。

そうなんです。まさかこんなに長い時間待っていてくださるなんて本当に驚きましたし、感動しました。その後少しお話することもできたのですが、その時に「自分とファンのみなさんとの親密さは、きっとドラ1候補の選手たちにも誇れる特別な絆だな」と感じたんです。

人との比較でありがたさを感じるなんて、ちょっと恥ずかしいんですけど。でも、あれだけのすごいプレイヤーがたくさんいる中でも、「こんなに僕のことを熱心に応援してくれてる人がいるんだ」と感じられたのは、その後も大きな励みになりました。

「見守る」という言葉の通り、父や母、兄や姉のように接してくださる方が、僕にはこんなにいるんだと認識できた、忘れられない出来事です。

ーーやっぱり東大野球部には、そういった熱量のあるファンの方々が多いのですね。

本当に熱心な方が多いです。ファンの数そのものは他大の方が多いかもしれません。でも、ファンの方々の熱心さや絆に関して言えば、僕たちがいちばんだと自信を持っています。

ーーでは、最後に。酒井さんにとって「応援」とは何ですか?

「球場で一緒に戦う仲間」だと思っています。

ファンの方々が実際にボールを投げたり、打ったりすることはありませんが、それでも確かに共に戦い、チームの力になってくれている存在だと感じています。勝利への貢献は、間違いなくあると思います。

これまで応援してくださった方々、今も変わらず支えてくださっているファンの皆さん、そして部の仲間や家族。いろんな場面で、自分は多くの人に助けられてきたと実感しています。応援という存在に、常に支えてもらっています。

今回改めてお話させていただく中で、それをはっきりと認識することができました。自分は本当に恵まれている。だからこそ、その応援と思いにこれからも必ず応えていきます。