SPORTIST STORY
BASEBALL
酒井 太幹 学生コーチ
TAIKI SAKAI
STORY

支える者が支えられまた前を向く、『応援』がもたらす力

チームを支える存在として、日々グラウンドに立ち続けてきた酒井太幹学生コーチ。
選手からコーチへの転身、その裏にあった葛藤と決断。そして、「勝利」と「東大野球部らしさ」の両立を模索する中で見つめ直した、自分自身の役割と、応援の意味とは。静かに語られる言葉の中に、支える者の覚悟が滲む。

Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada
Interview date / 2025.05.14



選手から学生コーチへ。仲間を支えると決めたあの日の話し合い



――酒井さんが学生コーチになったのは、どのような経緯で?

東大野球部では、毎年各学年から一定数の学生コーチを出すことになっています。私は同期との話し合いを繰り返す中で、選手から学生コーチへの転身を決意しました。

――ということは、酒井さんは最初は選手として入部されたんですね。

はい、もともとは選手として入部していましたが、2年生の6月に学生コーチへと転身しました。私たちの代では学年から1人学生コーチを出すということになったため、学年内の投票を経て候補となった4人で、誰が学生コーチになるかの話し合いを行いました。

――候補者の中でもおそらく選手であり続けたいと考えていた方が多かったのではないでしょうか。どのようなことを話し合ったのですか?

話し合いでは、「自分はなぜこの部に入ったのか」「この部活で何を成し遂げたいのか」「今、なぜこんなにも野球に向き合っているのか」など、お互いの思いや背景を語り合いました。その話を聞くうち、それぞれが本気で野球に向き合っていることが伝わってきて、「仲間たちと1つの枠を争うこと」に対して、自分の気持ちが次第に変化していきました。

率直に言うと、「自分はこの仲間たちが一歩でも前に進めるように支える存在でありたい」と思うようになったんです。ベンチ入りには限られた枠があります。もし自分が選手として残っていたら、彼らとその枠を奪い合う立場になっていたかもしれません。ですが、自分の役割はそこでは無いのかなと考えるようになりました。そうして自分の役割を見つめ直し、最終的に学生コーチとしての道を選ぶ決断をしました。

だから僕も入部当時は、まさか自分が学生コーチになるとは思っていなかったんです。

ーー4人での話し合いの前に学年内での候補者選びがあったかと思うのですが、その時点で自分は候補に入ると思っていましたか?

正直、なんとなく察してはいました。

自分の実力的な立ち位置もありましたし、「キャラクター」という言い方が正しいのかは分かりませんが、雰囲気や役割的にそういう立場になるのかなと。候補者の投票前に「どんな人に学生コーチになってほしいか」というテーマで、全体で意見を出し合う場があったのですが、その時点で、「自分は4人の候補に入るだろう」と薄々感じていました。

ーーその状況に対して挫折感はあったのでしょうか。

もちろんありました。だけど、「そこで選ばれたからへし折られた」というわけでもなく、実は学生コーチを選ぶことになった2年の6月までに、小さな挫折のようなものは幾度も味わってきていたんです。

僕のポジションはキャッチャーだったのですが、現主将の杉浦と初めてキャッチボールをした時、本当に驚きました。「なんだこの人は」と思うくらい、ボールの質が全然違っていたんです。もちろん杉浦以外にも、先輩、同期には実力を持った選手が何人もいます。そんな環境の中、「ここで自分はどうやっていくべきか」と、入部当初から常に考えていました。

ーーそれは集団の中で初めて味わう劣等感のようなものだった?

劣等感と言えば劣等感だったのかな。杉浦は1年からAチームでキャッチャーを務めていて、だけど自分はBチームにいる。どうしても比較してしまう部分はありました。

僕は高校時代まで、いわゆる「4番・キャッチャー・キャプテン」タイプだったんです。だけど、大学に入ってからは壁にぶつかり、うまくいかないことも多かった。高校時代に自信を持ってやっていたことが、大学では思ったようにできなくなっていって、実力面での挫折を何度も経験するうちに自信も少しずつ失っていきました。

ーー部を辞めたいと思ったり、野球を嫌いになったりしそうになったことはありませんでしたか?

でも、ほんの少しずつではあるけれど、自分が上達していっている実感は確かにあったんです。そこは、自分自身を褒めてあげたいと思えるところでもあります。

先輩に「ここ、上手くなったね」と言ってもらえたときは本当に嬉しかったですし、学生コーチやキャッチャーの先輩たちに支えられて、「よし、明日も頑張ろう」と思いながら、なんとかやってこれたんだと思います。

だから、学生コーチ候補を選んだ2年生の6月というのは、自分にとってひとつの転機だったと思います。それまでの2年間の「終着点」と言うと少し違うかもしれませんが、入部以来積み重ねてきた経験にひと区切りつけ、改めて自分の野球と向き合うべき時期だったのだと思っています。

――そして、学生コーチに。当初はいろいろな感情があったかと思いますが、どのようにチームと向き合ってきたのでしょうか。ここまでの過程で印象的な出来事はありますか?

いくつかあるのですが、一番印象に残っているのは、2年生の11月の出来事です。

自分が学生コーチに就任してしばらく経った頃、学年から次の学生コーチをもう1人選ぶことになりました。その際、投票で候補者が3人にまで絞られ、あとはその3人が話し合って決めるという流れになったのですが意見がまとまらず、最終的に「酒井、お前が決めてくれ」と言われて、僕が1人を選ぶことになりました。

僕が選んだのは伊藤(4年・伊藤数馬)でした。そのタイミングはちょうど秋の新人戦と重なっていたのですが、彼はその試合で登板し、チームは勝利しました。その試合後、彼は僕に「いろいろ思うこともあったけど、やっぱり俺はこのチームが好きだし、もっとこのチームでみんなと勝ちたいと思った」と言ってくれて……。

それ以降も、3年生・4年生になるタイミングで監督と相談しながら学生コーチに指名した選手が数名います。また、直接的に選んだわけではなくても、試合での起用の判断によって、間接的に選手としての道を閉ざしてしまった選手もいたと思います。

誰かを選ばなくてはならない機会が巡ってくるたびに、責任の重さや難しさを感じますが、それでもチームのために最善の決断をすることが、自分の役割だと考えています。

そして、自分が彼らを選手からこちらの道に引き込んだ以上、どうしても「勝ちたい」と強く思っています。なんとしてでも勝って、彼らにとっての野球部での4年間が「意味のある時間だった」と思ってもらいたい。絶対に後悔だけはさせたくないんです。

学生コーチになるにあたっては、本当にいろんな感情の葛藤があると思います。その葛藤を乗り越え、覚悟をもってコーチとしての道を共に歩んできてくれた彼らには、最後に「この部に入ってよかった」と心から思ってもらえるように、なんとしてでも結果を出したい。

これは自分が背負っている「責任」なんだと思っています。



全体を見渡し、選手の言葉を引き出す 「考える野球」を支えるために





――学生コーチの業務は、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

まず練習に関しては、日々の練習メニューを組み立てることが中心です。そのうえで、練習中にノックを打ったり、バッティングピッチャーを務めたりしながら、全体の練習を回していきます。 「次は何をやるか」「誰がどこに行くか」といった段取りも含めて、練習中は全体の流れを把握し、動かしていく役割が大きいと思います。

試合の時には、監督や助監督と相談しながら、スタメンやベンチ入りのメンバーをどうするかを決めたり、試合中の選手交代についても一緒に考えたりします。

練習のマネジメントと試合のサポート、大きく分けるとこの2つが主な仕事です。

――プロ野球のように、ポジションごとに担当のコーチがいるような体制なのですか?

東大野球部では、現在そこまで明確に分かれていません。ただ、なんとなく「ピッチャーまわりはこの人が中心で見ている」とか、「守備はあの学生コーチが主に見ている」みたいな役割分担はあります。ですが、基本的にはプロのように部門ごとに完全に分かれているというよりは、みんなで一緒に取り組んでいくスタイルです。

――学生コーチが選手に技術指導を行う場面はあるのでしょうか?

それは個人のスキルや経験にもよるところですが、特に1年生に対しては、チームとしての決まり事や、「この場面ではこういうプレーをしてほしい」といった指示を出すことはあります。

ただ、僕自身は現在Aチームに対して技術的な指導をすることはあまり無いですね。プレー面よりも、全体の流れを整える部分に重きを置いています。

――チームをうまく機能させるために、全体を支える立場なのですね。

その通りです。「学生コーチ」は名前にこそ「コーチ」と付いていますが、実際はグラウンド上で選手たちが野球に集中できるように、それ以外のことをすべて整えて回していく役割だと思って取り組んでいます。

――選手が集中できる環境を整えたり、チームが勝つために何をすべきかを監督と一緒に考えたりと、学生コーチには幅広い役割があるのですね。SPORTISTのテーマは「応援」なのですが、学生コーチという立場は、「応援される」というよりも「応援する」意識の方が強いのでしょうか?

僕個人で言うと、後者の感覚の方が強いです。部として描いたヴィジョンを選手たちが実現できるように、できる限りサポートしていくことは大前提にありますが、いざプレーが始まれば、最終的な勝負の行方は自分たちの手を離れて選手に委ねられます。試合に送り出した以上、そこから先は選手たちを信じて応援する立場だと思っています。

――学生コーチは選手に近い立場でもあるので、選手の悩みに気づく瞬間なども多いのではないでしょうか。

それはもちろん、ありますね。BチームからなかなかAチームに上がれない、試合に出ても結果が出ないなど、それぞれがいろんな悩みを抱えていると思います。だから、そうした気持ちを少しずつでも聞けるよう、ゆっくり話す時間を意識的に取るようにはしています。

――選手の相談に乗ることも多いのですか?

がっつり1時間話し込む、というようなことはあまりありませんが、「何かあった?」と一声かけることはありますね。寮生活ですので、プライベートの時間を一緒に過ごしている中で、ちょっとした変化に気づくこともあります。そんな時には、自分から部屋を訪ねたりして、少し気を配るようにはしています。



――東大野球部は東京六大学リーグの中で、失礼ながら「弱小」と呼ばれてしまうこともあります。酒井さんから見て、なぜ東大はなかなか勝てないのでしょうか?もちろん、他大学が強すぎるというのも理由のひとつかとは思いますが。

うーん……なぜ勝てないんだろう。ただ、理由のひとつにこれまでに積んできた「経験の差」や「練習量の差」は、どうしても存在すると思います。小学生、中学生、そして高校時代からの積み重ねという部分ですね。

技術的に見ても、相手の速いボールに対して咄嗟に芯で捉える反応の精度などは明らかな違いを感じます。また、プレッシャーがかかる場面での対応力にも差がある。これは、それまでに乗り越えてきた場数が圧倒的に違うからです。

たとえば、甲子園の決勝でマウンドに立った経験があるピッチャーとでは、越えてきた修羅場の数が違いますよね。そういった土壇場で発揮される集中力やメンタル面の強さも、差になっていると感じます。

ーーそういった差があっても、誰ひとり「勝ち」を諦めていませんよね。今日、東大野球部の皆さんにお話を伺って、全員が「勝ちたい」という気持ちを非常に強く持って日々励んでいることが伝わってきました。酒井さんは学生コーチとして、どうすれば勝ち星を上げていけると考えていますか?

まず前提として、東大野球部全体としては「感覚」では埋められない部分を、ある程度「理詰め」で補っていく必要があると感じています。たとえば他大学の選手であれば、感覚的に「こう打てばこう飛ぶ」とわかるケースがあると思います。でも、うちの選手たちはそうではなくて、「こういうふうに振って、ここでこう体を使って……」というように、言語化して理解する必要がある。

だからこそ、自分が意識しているのは、選手たちが自然とそれを言葉にできるようにサポートすることです。たとえば「今、どういう意識で打席に立ったの?」「実際どうだった?」「じゃあ次はどうしようか?」といった形で、選手自身にPDCAを回してもらえるような問いかけを練習の中で心がけています。

ーーそういった選手との対話や振り返りの機会は、結構多いのですか?

むしろ、万事がそうですね。あえて時間を取って話すというよりは、練習中のちょっとした合間、たとえばバッティングの待ち時間などに「最近どんな感じでやってるの?」「それで結果はどうだった?」「次はどうするの?」等といった形で、自然に会話の中で言語化してもらえるようにしています。



変わる組織と役割 変化の中で掴んだ新たな貢献の形とは





ーー学生コーチとして日々取り組む中で、「やりがい」を感じるのはどのような瞬間ですか?

やはり、リーグ戦でチームが勝った瞬間というのは、他の何にも代えがたいものがあります。部の雰囲気もガラッと変わりますし、「あの勝利をまたみんなで味わいたい」と強く思える、そんな特別な経験です。

もちろん、選手が自分の働きに対して「ありがとう」と言ってくれることも、やりがいのひとつではあります。でも、最終的にはやっぱり大きな舞台で、他大学に勝つこと。それに勝る喜びはないと思っています。

ーーその一方で、悩むことは無いのでしょうか。

自分の役割や立ち位置については、考える場面が増えてきています。

と言うのも、2年前に部の監督が、井手監督から大久保監督に交代しました。もともと大久保監督は助監督だったのですが、井手監督が体調を崩されたことを受けて、監督に就任された形です。

当時、自分の2つ上の代では、学生コーチが試合の出場メンバーや投手起用の判断などに対して、かなり大きな裁量を持っていたように思います。もちろん当時の私はベンチにも入っていませんでしたし、Bチームの担当だったので、見えていなかった部分も多々あるかもしれませんが、それでも当時の学生コーチはとても強い存在感を放っていた印象でした。

しかし、監督が交代したり新たに石井助監督を迎えたりといった体制の変化により、選手を評価する目が増え、監督・助監督の意見の影響力も深まっています。それに伴い、自分たちに求められることにも変化が現れてきました。

ーーそれは具体的に言うと?

以前は、試合での戦術や選手起用といった判断に深く関わることが学生コーチの主な役割だったと思いますが、今はむしろ「選手がどうすれば上手くなるのか」「練習環境をどう整えるか」「どうやってPDCAを回すよう導いていくか」といった、根本的な部分で選手の成長を支えることがより求められるようになっているように思います。

部の体制変化に伴って、自分たち学生コーチの立ち位置や役割も変わりつつあるので、「今、自分は何をすべきか」「どう貢献していくべきか」といったことを、今新たに考え直しているところです。

ーー直近で行われた春のリーグ戦を通して、見えてきたものはありましたか?

ここまでの8試合を経験してきた中で、監督が判断される部分と、学生コーチ側である程度決めて監督に提案してからスパッと指示を出す領域の棲み分けや役割分担の感覚が、ようやく自分の中で少し掴めてきた気がしています。少し遅かったかもしれませんが、試合を重ねる中でようやく見えてきたものです。

「試合中に自分がやるべきこと」が明確になってきた今は、それに見合うだけの知識や経験、何より「自分が決断したことの結果に責任を持つ覚悟」が必要だと感じています。



応援とは、思わず下を向いてしまいそうになる時、再び前を向かせてくれるもの


 

ーー酒井さんが応援を実感する場面というのは、どのような時でしょうか。

インタビューの前半で、学生コーチに転身した者への責任の話をしましたが、最近はその延長として、選手との「モチベーションの相互性」のようなものをすごく感じているんです。

たとえば、僕が監督と話し合って「こういう野球をやりたい」「こんな練習をしていこう」とまとめた内容を選手に伝える時、最初の頃はどうしても一方通行の発信になりがちでした。

だけど、学生コーチとして2年間やってきた今は、学生コーチの言葉や提案に対して、選手たちが本当に一生懸命に取り組んでくれる姿をたくさん見られるようになっていますし、時には僕たちが想像した以上の結果を出してくれることも多々あります。

そういう姿を見ると、自然と「もっと頑張ろう」と思えるんです。

もともと「選手を支える」立場として動いていたつもりが、気がつけば選手たちの頑張りに自分自身が支えられていた。そんなふうに感じる場面が本当に多くあります。

だからこそ、応援というのは「一方的なもの」ではなくて、むしろお互いに与え合うものなんだなと思っています。彼らの頑張りが、自分の頑張りを引き出してくれている。今はそんな応援の相互性を実感しているところです。

ーー最後に、酒井さんにとって「応援」とは何でしょうか。

うまくいかないことがあったり、思わず下を向いてしまいそうになる時に、もういちど前を向かせてくれるもの。

寝る前に「よし、明日も頑張ろう」と思わせてくれて、朝起きた時に「今日も1日頑張ろう」と思える。応援とは、そんなふうに思わせてくれる存在だと感じています。

それは、選手の頑張りだったり、監督や助監督、同期、学生コーチの仲間たち、一生懸命応援してくれる応援部やファンの方々、そして親の存在だったり。そういった人たちの頑張りや応援が、今の自分を前に向かせてくれています。

正直、何が正解かわからないことの方が多いですし、東大野球部は負けることの方が多いチームなので、「何をすれば勝てるのか」は常に手探りです。でも、そんな中でも「よし、頑張ろう」と次の1歩を踏み出させてくれる。その力こそが、応援なんだと思います。