がむしゃらに取り組む、それが答えだった
両親と兄がハンドボール選手。いわばハンドボールのサラブレッドとして生まれた東江雄斗は、国内強豪チームのひとつであるジークスター東京の副キャプテンにして、現在は日本代表チームのキャプテンも務めている。一見完全無欠のプロ選手である彼だが、インタビューを進めるうちに口から溢れたのは、常勝を求められる強豪チームとしてのプレッシャーや日本代表キャプテンを任された時の不安、そして夢を叶えた後に陥った自身のスランプについてだった。強者には強者の葛藤がある。だが、傷を負いつつもがむしゃらに戦い前進していく姿は、誰の目にも眩しく映るのではないだろうか。自身の心情を赤裸々に語った、紛うことなき東江雄斗の「今」がここにある。
※編集部注:本インタビューは第47回日本ハンドボールリーグプレーオフ直前、3月上旬に収録しました
Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga
Photo / ZEEKSTAR TOKYO
Interview date / 2023.03.09
ハンドボール界の未来に光を感じたジークスター東京の発足
ーー2021年からジークスター東京に所属されている東江選手ですが、チームへの加入はどのような経緯で?
ジークスター東京が日本リーグに加入するという話を知った時、「東京という日本の首都にハンドボールチームができるのは、世間一般にハンドボールの認知度を高めていくうえでかなり大きな出来事だ」と感じました。ジークスター東京は数あるハンドボールチームの中でも特に「ハンドボール界を盛り上げていきたい」という熱量が強いチームです。ハンドボールの普及については僕自身も強く興味を持っていたことでしたし、チームが抱くハンドボールへの情熱を知っていくうちに、「僕もこのチームに所属することで自分の成長に繋げられるものがあるのではないだろうか」という気持ちが芽生えてきました。
ーー当時のハンドボール界において、「東京にチームができる」というのは大きな出来事だったんですね。
サッカーやバスケットなど他のスポーツと同様に、東京にチームがあることでメディアへの露出が増える面は大いにあると思います。ハンドボールもいつかはメジャーなスポーツになってほしいと常々考えていたので、このニュースを聞いた時はいちハンドボール選手としてとても嬉しい気持ちになりました。
また、ジークスター東京はこれまでの日本ハンドボール界にはあまり無かったプロチームです。もちろん企業チームには「働きながら安定した環境の中で競技ができる」という大きなメリットがありますし、現在活動しているチームも歴史ある素晴らしいチームばかりです。しかしそれはそれとして、プロチームが日本の中心である東京にできるというのは「ここから日本におけるハンドボールの可能性が広がっていくきっかけになるのでは……」と思わせられるほど、僕にとっては衝撃的な出来事でした。
ーー東江選手も以前は企業チームに所属していましたが、当時と現在で生活は大きく変わりましたか?
以前所属していた企業チームでは、朝8時半から17時半まで働いた後、仕事が終わってからハンドボールの練習に入っていました。どうしても仕事の延長線上にハンドボールがあるようなイメージなので、やっぱりハンドボールだけに集中するのが難しい場面も多かったです。今はハンドボールだけに専念できる環境なので、それがいちばん以前との違いを感じる部分です。子供の頃からプロハンドボール選手として活動していきたいという思いは抱いていたので、今の環境はとてもありがたいですね。実は移籍前のチームでも、移籍のひとつ前のシーズンからは日本人初のプロ選手として契約をいただいていました。そのチームもとても良いチームでしたが、どうしても新しい環境でチャレンジしていきたいという気持ちが強まったこともあって、最終的にジークスター東京への移籍を決めたんです。
ーージークスター東京への加入は2021年。そして今シーズンからは副キャプテンも務めていますが、東江選手から見た現在のチーム状況はいかがですか。
チームは今プレーオフに向けての最終段階にきています。練習中はすごく激しい攻防を繰り広げつつも、オフになった時の雰囲気も良くて、とても良い状況だと思います。ただ「副キャプテンとして」という部分でいうと、自分はまだまだその仕事をやりきれていないようにも感じています。
ーーキャプテンの橋本選手とチームについて話し合うようなことも多々あるのでしょうか?
もう1人の副キャプテンである小山選手も含め、何か気付きがあるたびに3人で話しあって、その内容をチームに共有するようなことはありますね。
ーー最近ではどんな話を?
ちょうどプレーオフに向けた合宿が始まるタイミングで全体ミーティングを行ったのですが、その後の選手ミーティングに向けて、チームの方向性を再確認したり「自分たちがハンドボールだけに集中できている幸せについて改めて伝えたいし、その感謝を全員が共通認識として持っていたいよね」といった話などを、事前ミーティングとして話しました。
ーー話し合いの中で、考えがぶつかるようなことはありませんか?
ぶつかることはあまり無いですね。橋本選手は人一倍周りの選手に気を遣ってくれますし、いつも全体を見て引っ張ってくれる存在なので。試合中たまにアドレナリンが出過ぎてて訳わかんないことになってる時もありますけど(笑)、でも本当にキャプテンのお手本のような頼れる選手なんです。
ーー良い環境の中でプレーオフに向かえているようですが、さらに上を目指していくうえで、現在のジークスターに不足していると感じる部分はありますか?
ジークスター東京って、所属しているほとんどの選手が日本代表というくらいトップレベルの選手揃いなんです。これだけすごい選手が集まったチームって本来絶対に勝つべき集団なんですけど、やっぱりちょっとした詰めの部分でミスをしてしまうような場面も目立ちます。これは僕自身もそうなんです。周りがすごい選手ばかりだからこそ、どこかで周りに頼ってしまったり遠慮してしまう意識があると思うんですよね。この問題を解決するためには、選手ひとりひとりの「自分が試合を決め切るんだ」、「自分がこの壁をぶち抜いていくんだ」という強い気持ちが必要。メンタルをしっかり強化していくことができれば、どのチームよりも強くなれるんじゃないかなと思っています。
ーーこれだけ一流の選手揃いだからこそ、「頼ってしまう部分がある」という言葉はとても意外に感じました。自身のそういった反省点は、試合中や終了後に浮かんでくるものなのでしょうか。
負けた試合を思い返している時に、自然と浮かんできますね。自身のプレーに対する後悔についても同様です。
直近の試合で言えば、12月の日本選手権の準決勝戦。豊田合成との試合だったのですが、最初リードされていたところから後半同点まで追いついて、そこで逆転できる可能性があったのに敗戦してしまいました。あの試合については、試合後「もっとこうしておけば」「あの時パスを出しておけば」などの反省点が次々と浮かんでしまいましたね。
ーージークスター東京への加入を決めた理由のひとつに「ハンドボール界を盛り上げていきたいという熱量の強さ」を挙げていましたが、それはどのようなところから感じていますか?
まず見ていただきたいのは、ホーム会場の雰囲気ですね。ジークスター東京は運営の方々をはじめ、会場設営の方々や各スタッフの皆さんの「来場してくれるお客さんに絶対に楽しんでもらおう」という気持ちがひときわ強いチームだと思うんです。B.LEAGUEの試合会場などでも見かけるような面白い会場演出や、試合以外の部分でも純粋に娯楽として楽しめるような会場作りをいちばん体感できるのはホーム会場だと思うので、ぜひ一度足を運んでみて欲しいです。
ーー会場が盛り上がっていると、ご自身のプレーも変わりますか?
そうですね、自然と気持ちが上がってくるというか、試合自体を楽しんでいこうという気持ちがどんどん上がってくるような感覚になります。他のチームも同じだと思いますが、選手と監督だけじゃチームは絶対に成り立ちませんよね。この会場を作れているのは運営スタッフの皆さんのおかげですし、もちろん会場にきてくれるファンの方がの応援があってこそです。僕以外の選手もみんな、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。だからこそサポートしてもらっている方々には勝利で恩返ししたいと、いつも思っています。
尊敬する土井レミイ杏利の後任として日本代表キャプテンへ
ーー東江選手は、日本代表チームでもキャプテンとして活躍されていますよね。
日本代表の前キャプテンは、ジークスター東京のチームメイトでもある土井レミイ杏利さん。彼は本当に日本代表選手全員の精神的支柱で、僕自身もずっと杏利さんにおんぶに抱っこ状態で過ごしてきたので、彼が日本代表を引退してキャプテンを任されるという話がきた時は、正直「やりたくないな」というのが本音でした。やっぱり自分と杏利さんを比較しちゃうというか、「杏利さんがやっていたことを自分ができるのか」みたいな思いが自分の中にすごくあって、最初はキャプテンを担うことに対してネガティブな気持ちでいっぱいだったんです。杏利さんから学んだものって本当に大きくて、なかでもいちばん影響を受けたのは「国を背負って戦う」という精神的な部分。若い時は、「試合前にしっかりスイッチが入っていればいいかな」くらいの感じで試合に向かっていたし、それくらいのスタンスが自分自身も楽だなと思っていました。だけど杏利さんは、「国際試合は国と国との戦なんだから、本当に常日頃から、それこそ練習はもちろん試合の日はホテルを出発する時から絶対に勝つというマインドで過ごしていないと、簡単に勝利なんて掴めない」と言っていたんですよね。それを聞いて、多分僕以外の選手も「本当に勝つためにはそれくらいの凄い覚悟を持って戦わなくちゃいけないんだ」って、それまでと気持ちが大きく変わったと思うんです。それ以外にも、戦うための姿勢や考え方についてたくさんのことを学ばせてもらいました。
ーー自身がそれだけ影響を受けた方の後任となると、気構えてしまうのも当然のような気がします。
でも、いろいろと考えていくうちに段々と、「別に杏利さんがこうだったからこうしなくちゃみたいに考えなくてもいいのかな」と思えるようになってきたんです。「自分は自分らしく引っ張っていけばいいんだ」と思えるようになってからは、少し楽になりました。僕はプレーで引っ張ることって、キャプテンとしてはさほど必要ではないのかなと思っていて。それよりも、どれだけチームをまとめるか、勝つためにどこまで自分やチームとしての理想を伸ばせるかの方が大事なのかなと今は思っています。そう考えられるようになったのも、杏利さんから学ばせてもらったおかげ。人としても、プレーヤーとしても本当に成長させてもらいました。今はまだ代表チームのキャプテンを任されて日も浅いこともあり、苦しい場面もまだまだ全然経験していませんが、きっとこれからいろんな困難や苦労が出てくるだろうし、その時の行動や判断については不安もあります。だけど、きっとその経験も自分自身を成長させてくれるはずなので、今は不安と同時に楽しみな気持ちも感じているんです。
ーー再びジークスター東京に戻った時、今度は代表チームで学んだことを東江選手が伝えていく立場になりますが、後輩や若手選手を代表レベルのマインドに引き上げていく難しさを感じることはありませんか。
それは今のところ無いですね。若手選手の中にも、部井久アダム勇樹のように高校時代から何度も国際試合を経験して場数を踏んでいる選手もいるので、彼のような選手から伝わっている部分もあると思います。他にも代表経験選手はたくさんいるので、そういったマインドは自然とチーム内に伝染していっている感覚です。
ーー東江選手はご両親が元ハンドボール選手、実兄である東江太輝選手(琉球コラソン)も現役ハンドボール選手という、まさにハンドボール一家で生まれ育ったそうですね。
幼い頃からハンドボールが身近にある生活でした。兄もハンドボールをやっていたので、両親が練習しているところで僕と兄貴も1対1で練習したり。年齢差があるので当時はまだまだ敵わなくて、毎回がむしゃらに立ち向かっていたのを覚えています(笑)。
家族みんなが同じ競技をやっているので、会話も常にハンドボールの話なんですよ。食事時とか、家族で何か盛り上がってるときの話題は、いつもハンドボールでした。
ーー当時、周りでハンドボールをやっている方は少なかったのでは?
周りのみんなが野球やサッカーを習っているなか、僕たち兄弟は自然とハンドボールを選んでいました。実は、兄貴は小学校の部活で野球もやろうとしていたんですよ。だけど入部して2週間くらいで怪我をしちゃって、「もう野球はやらない!」と言ってハンドボールを始めたんです。それで僕も、「兄貴がやるなら僕もやりたい」ってハンドボールを始めたんですよね。大人になってから酒を飲みつつ家族で話していた時にその話になって、「今思えばうちの両親は「自分の好きなことをやりなさい」とやりたいことをやらせてくれたけど、兄貴が野球を始める時も高級なグローブやスパイクじゃなくて廉価品を買っていたし、もしかして心のどこかでハンドボールに進んで欲しいと思っていたんじゃないの?」と思って直接聞いてみたら、「バレてたか〜」って言っていました(笑)。
ーーじゃあご両親も今のおふたりの活躍をとても嬉しく思っていらっしゃるでしょうね。
どうなんですかね(笑)。 個人的には日本代表としてオリンピックに出場できたことはひとつ恩返しになったと思っているのですが、うちの両親はハンドボールに対してすごく熱い人たちなので、まだまだもっと高みを目指してほしいと思っているんじゃないでしょうか。だから、僕自身もまだまだこれからだなと思っています。
ーー東江選手は幼少期から現在まで長くハンドボールを続けていますが、自身のプレースタイルは時を経て変化してきていると思いますか?
その時々で全然違うと思います。中学、高校くらいまではひたすら点を取りにいって、時々アシストするくらいでしたが、大学に入ってからはさらに高いレベルを目指す必要が出てきて、そうなると当然自分も点を取りつつ周りも活かさないと、自分の思うプレーはできないなと思うようになってきました。大きなきっかけになったのは、大学4年で初めて日本代表に招集された時に司令塔というポジションを任されたこと。当時の監督に「センターとはこうあるべきだ」と教わって、自分が点を取るだけじゃなく、ゲーム全体を考えないといけないということを、具体的に考えるようになりました。あれはひとつのターニングポイントだったように思います。
ーー東江選手自身が描く、理想のプレイヤー像はありますか?
理想はやっぱりチームを勝たせる選手ですね。学生時代は点を取ってアシストができる選手が理想だと考えていましたが、大学を卒業してトップリーグに参戦してからは、「点をとってアシストもしつつ、最後にチームを勝ちに導ける選手」が目標になりました。「チームを勝たせる」という言葉では曖昧に聞こえるかもしれませんが、プレーだけじゃなくメンタルも全部ひっくるめて、チームを勝ちに引っ張っていける選手になりたいんです。精神的な余裕があれば自然とプレーの幅も広がっていきますし、冷静に周りを見て判断することもできるようになると思うので。あとは、僕、日本リーグに参戦してから日本リーグ優勝や日本選手権優勝などの経験がまだ一度も無いんです。いつも準決勝や決勝で僅差で負けることが多いからこそ、余計にチームを勝たせる選手になりたいと思っているのかもしれません。準決勝や決勝なんてシーソーゲームになることや、劣勢な時間が続くことも珍しくない。だからこそ、その環境の中で強い自分を発揮できる選手になりたいです。
今まさにパリ五輪に向けての勝負が始まる
ーー先程も少し話題に上がった東京オリンピックですが、代表選手としての出場は東江選手にとっても目標のひとつでしたか?
オリンピックに出ることは子供の頃から抱いていた夢のひとつでしたが、実際に東京オリンピックが開催されると決まった時から、それは目標に変わりました。だから、オリンピックの代表メンバーに選出され試合に出られた時というのは、自分で掲げていた目標のひとつが叶った瞬間でもありましたね。
ーー前回、部井久アダム勇樹選手に東京オリンピックの思い出を伺ったところ「無観客の会場を見て少し寂しさも感じた」と仰っていたのですが、東江選手はいかがでしたか。
確かに、無観客試合が決まった際には「せっかく自国開催で盛り上がるはずだったのにな」と、多少の物足りなさを感じた部分はありました。声がまったく通らないほどの大観衆の中で試合する光景を思い描いていたので、実際に無観客での試合を行った時は、やっぱりちょっと自分が思い描いてたオリンピックとは違っているなと思ってしまいましたね。
ーー無観客での試合を体感したことで、オーディエンスの重要さが身に染みた部分もあった?
そうですね、観てくれている方が多ければ多いほど自分の気持ちや感情が高まりますし、チームの良いプレーに対して上がる歓声が聞こえてきた時というのは、試合中に感じられる最高の瞬間だと思います。コロナ禍を通して、改めて応援してくれる方々の存在はすごく大事だなと感じました。
ーー少しずつコロナの猛威も収まりつつある今、次のパリ五輪も近付いてきていますが、東江選手も次のオリンピックを視野に入れて日々励んでいるのでしょうか。
もちろん、オリンピックのメンバーに入ることを目標に頑張っています。オリンピック予選が今年10月に開催されるので、まさにこれから勝負が始まるところですね。
ーーチームメイトの中に代表候補メンバーが多数いるということは、即ちライバルが常に近くにいる状況でもあるわけですよね。
以前所属していたチームでは自分が中心選手として活動できていて、例えば試合が60分間だとしたらその60分ずっと自分中心でプレーしているような感じだったんです。でも今は周りがもう本当にすごい選手だらけなのでもちろんそうはいかなくて。だから、自分があまり活躍できていない時には不安や焦りのような気持ちを感じることも正直あります。だけど、そういったプレッシャーを乗り越える経験をたくさんした方が、自分の糧になっていくような気もしているんです。
ーープレッシャーを乗り越えるためには、何が大切だと思いますか。
プレッシャーに負けそうになった時は、もう開き直るしかないですね。そこまで追い詰められたら自分らしくやっていくしかないし、どんな状況だろうが自分は自分というマインドでいるようにしています。あと予防策じゃないですけど、プレッシャーを感じないためにはやっぱり日々の積み重ねが大事だと思います。
応援とは、自分の限界以上のパフォーマンスを発揮させてくれるもの
ーージークスター東京は強豪チームであるが故に、常に勝利を求められる部分もありますよね。
そのプレッシャーは僕自身も感じていますし、多分他の選手もみんな多少感じているような気がしています。ただ、強い選手が集まった集団ではあるものの、ジークスター東京というチーム自体はまだまだ歴史の浅いチームなんですよね。まだ何かを成し遂げられているわけではないので、僕は新しいチームとしてチャレンジャーであることもすごく大事だと考えています。あと、「勝ちたい」という気持ちに捉われ過ぎてしまうといろいろと凝り固まってしまうので、ありきたりかもしれないですが、やっぱり前提としてハンドボールを楽しくやりたいと思っているんです。先日、選手何人かで話してる時にも「せっかくこんな大舞台でプレーできるんだから、楽しんでやらないと損」みたいな意見を元木選手(元木博紀)が言ってくれて。「ガチガチでやっていくのもひとつの手段かもしれないけれど、それが気負いすぎることの原因になっているのであれば、いっそお祭り気分でやることが自分達にとって良い効果を生むんじゃないかな」という言葉は、とても心に響きました。
「勝とう」という思いが強すぎて視野を狭めてしまうこともあると思うので、それを消すために敢えて「お祭り気分」という表現で話してくれたんだと思います。力むばかりでなく、そういったメンタルでいることも大事なんだなと改めて思いました。
ーー試合に勝つためには戦術やメンタルコントロールなどさまざまな要素が関わってくるかと思うのですが、東江選手は試合の勝敗に何がいちばん大きく影響すると思いますか。
気持ちがコントロールできていないと思う通りの試合運びも難しいと思うので、そういった意味ではメンタルがやっぱり最上位にくるようも思いますが、とは言えメンタルの状態が良くても戦術で負けてしまうこともあるので、「これがいちばん影響する」と言うのはちょっと難しいですね。ケースバイケースです。
ーージークスター東京には、先日引退を発表されたリュック・アバロ選手のように、ハンドボール強豪国であるフランスリーグで長年プレーしてきた選手もいらっしゃいます。彼から影響を受けたことはありますか?
あれほどのスーパーレジェンドが加入してくれたことで、ジークスター東京は大きく変わりました。ポジショニングひとつ取っても彼の意見は全然違っていて、アドバイスに沿って位置取りを変えるだけで攻撃がすごく上手くいくようになりましたし、日本でこれまで常識だったこととは違うことをリュックがやるだけで、そこに気付きが生まれます。彼自身も新しいひらめきや発想が出てきたらすぐにこと細かく伝えてくれるので、本当に勉強になることばかりでした。
ーーそんなリュック・アバロ選手を始め、これまでたくさんの素晴らしい選手と関わってこられたと思いますが、プレーヤーとして東江選手が最も影響を受けた人はどなたでしょうか。
いちばん影響を受けたのは、やっぱり親父じゃないかな。親父からハンドボールを教わっていなかったら、僕のプレースタイルは成り立っていないと思います。そう考えると、いろんな選手の影響を受けてはきたけど、原点はやっぱり親父なんだなと思いますね。
ーー教え方は厳しかったですか?
いや、全然ですよ。僕自身がただただ「ハンドボールが上手くなりたい」と思いながら教わっていたので、そのうえでの厳しさはありましたが、無理矢理やらせたりスパルタみたいな感じは一切無かったですね。
ーー「ハンドボールが上手くなりたい」という気持ちは、当時と変わらないレベルで今も抱いていますか?
実は、東京オリンピックが終わってから少しその気持ちが冷めてしまった瞬間があったんです。ひとつ目標を叶えたことが原因なのか、全然心に火が点かなくなってしまって、「上手くなりたい」「こうやりたい」と思ってはいるけど、全然体現も表現もできないような状態がしばらく続いていました。
ーー過去形ということは、今は取り戻しつつあるということでしょうか。
昨シーズンはそんな状態だったので良いプレーがあまりできなくて、今やっと心を取り戻しつつある感じです。ネガティブな状況の中で「自分はハンドボールにおいてどんな時に幸せを感じるか」を改めて考えてみたんです。そこで頭に浮かんできたのは、「試合に勝った時」「自分が成長している実感を得られた時」、そして「いろんなプレーが上手くいっている時」でした。じゃあその幸せを得るためにどうするかとさらに考えた結果、「あの頃のようにハンドボールにがむしゃらに打ち込むことが大事なのかな」と思ったんです。この答えを見つけたことをきっかけに、少しずつ心を持ち直すことができるようになりました。
ーー初心に立ち返ることや無心でやることって、頭でわかっていても実行するのはなかなか難しくないですか?
そうなんですよね。だけどハンドボールは勝負の世界なので、シンプルに「目の前の相手に勝つにはどうするか」だけを考えて、体現していけば良いんです。同時に、何かを躊躇していたら絶対に勝てないから練習中も試合中も常に100%で、無我夢中でやること。先程話した内容にも繋がりますが、結局楽しんでがむしゃらにやることが原点に立ち返ることにも通じるんだと思います。
ーー最後に、東江選手にとって応援とは何でしょうか。
自分の限界以上のパフォーマンスを発揮させてくれるものです。たぶん選手自身の実力や試合時のパフォーマンスには、本来限界があると思うんです。だけど、応援には個々が持ってる元々のエネルギーを倍にしてくれる力がある。来場してくださる観客の方々の声援を耳にして、いつも「こんなに応援してくれるなんて僕たち選手は本当に幸せだな」と思っているし、観に来てくれる人にも試合を楽しんで、幸せな気持ちになって帰って欲しいなと思いながらコートに入っています。これからも皆さんが向けてくださる応援に対して、感謝の気持ちをプレーで返していける選手でありたいです。
第47回日本ハンドボールリーグプレーオフ準決勝後のコメント
2023年3月19日、武蔵野の森総合スポーツプラザで行われた第47回日本ハンドボールリーグプレーオフ準決勝で、ジークスター東京はトヨタ車体・BRAVE KINGSと準決勝を戦い、たったの1点差という僅差で敗戦。東江選手自身も長く患っていた膝の手術に踏み切るなど、メンタル・フィジカル面ともにできる限りのベストを尽くして挑んだ試合だったが、悔しい成績で今シーズンを終えることとなった。とは言え、選手たちのモチベーションは来季に向けてすでに高まりを見せている。試合後の東江選手からSPORTISTに届いたコメントを紹介しよう。
「プレーオフで優勝するために思い切って膝の手術も決断し、心身ともコンディションを整えて臨みました。でも、本番ではチームに貢献できないまま終わってしまい、不甲斐なく、情けない気持ちでいっぱいでした。この最高のチームとスタッフのみんなで優勝したかった。今シーズン、たくさんの応援をありがとうございました。ハンドボールを通じて、応援してくださるみなさんと一緒にhappyになりたいという気持ちはより強くなっています。来シーズンもジークスター東京の応援をよろしくお願いします!」