SPORTIST STORY
BEACH TENNIS PLAYER
牧篤矢
ATSUYA MAKI
STORY

リスペクト、肯定、認め合うこと 自分を変えてくれたビーチテニス

若くして全日本ビーチテニス選手権優勝、日本代表経験などの輝かしい戦績を修めつつ、競技の普及を目指し自ら立ち上げたスクールの代表も務める牧篤矢選手。自らを大きく変えたと語るビーチテニスの魅力と、話すうちにふとこぼれた選手生活と将来の狭間での葛藤。一度は引退も考えた彼が、それでも今ビーチテニスを頑張る理由とは。

Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga 
Photo / Naoto Shimada

硬式テニスからビーチテニスへの転向が大きな成果を生んだ

ーーまずはビーチテニスについて詳しく教えていただけますか。

コートは8×16mで、ビーチバレーとまったく同じサイズです。ネットの高さはビーチバレーよりも低くて、男子が180㎝、女子が170㎝。パドルと呼ばれるテニスよりも短いサイズのラケットで、柔らかいボールをバウンドさせずに打ち合います。ゲームカウントはテニスと同じなのですが、サーブが1本だったり打つ場所が自由だったりと、異なる部分もいくつかあります。国内でのシーズンは、4月から11月頃までですね。

ーービーチでの競技は多々ありますが、牧さんはなぜビーチテニスの道へ?

通っていたテニススクールの校長である杉田さん(日本ビーチテニス連盟副会長・杉田高章)がビーチテニスを日本に持ち込んだメンバーのひとりでスクール内にビーチテニスのコートがあったので、硬式テニスをやっていた時から「ビーチテニス」という競技があることは知っていました。

だけど、当時は硬式テニスが楽しかったこともあって、ビーチテニスに触れる機会はまったくありませんでした。実際にビーチテニスを体験したのは、高校の部活を引退する頃です。杉田さんに「ビーチテニスの体験会をやるよ」と誘われて、「じゃあ1回やってみようかな」と参加したのが、僕とビーチテニスのファーストコンタクト。最初は競技の内容もあまりわからない状態からのスタートでしたが、実際にやってみると「テニス」と名前はついているものの、使う道具も打ち方も全然違いました。

だけど、何度かビーチテニスをやっていくうち、「ビーチテニスは硬式テニス以上に、自分に適したスポーツなのではないだろうか」と感じるようになっていきました。実はその頃、なかなか筋力やパワーがつかず、硬式テニスに伸び悩みを感じていたんです。

夏前に高校の硬式テニス部を引退してからは、夏休みの間毎日海に通って、杉田さんや当時のトップ選手達にビーチテニスの練習相手をしていただいていました。ビーチテニスに触れる回数を重ねるごとに、どんどんのめりこんでいっていたように思います。

ーー当時、どういったところで自身の適性を感じていたのですか?

当時の僕は線が細く、あまりパワフルなタイプではなかったんです。身長は182㎝と平均よりも少し高いのですが、筋肉がつきにくいこともあってダッシュ&ストップなどの機敏さや俊敏さを重視するプレイはあまり得意ではありませんでした。体力はあっても筋持久力が無いという部分で「硬式テニスは自分にすごくマッチしているとは言えないのでは」と悩んでいたんです。

反面、ビーチテニスは風向きを読んだり、どこにボールを落としてどんな回転をかけて打つのかなど頭を使って戦術を考える競技です。パワーも必要ですが、それと同じくらいボールコントロールが重視される競技なので、そういった面が特に自分に合っていると思いました。

ーー成長期にフィジカル面での悩みを抱える選手は、少なくないようですね。

僕の場合は両親ともにすごく代謝が良く、「若い頃は太りたくても全然太れなかった」という話も聞いていたので遺伝的な面もあったように思います。あとは僕自身、食事があまり得意じゃなくて。一度にたくさんの量を食べられないし、頑張って詰め込むと気持ちが悪くなってしまう。食事で賄いきれない栄養を補うためにサプリメントやプロテインも意識して摂るようにしていましたが、それでもなかなか上手くいきませんでした。

家族にも「今日のごはんは何がいい?」と聞かれたら「お肉でお願いします!」って毎日頼んで協力してもらっていたので、僕の希望に付き合うせいで妹も毎日お肉ばっかり食べることになっちゃってましたね(笑)。

一同:(笑)

ーー妹の萌笑さんから見ても、当時の篤矢さんはいかがでしたか?

萌笑「食事が大変そうなのは私にも伝わってきていました。当時の兄は本当に食が細くて、一緒にごはんを食べていても私の方がたくさん食べちゃうこともあったくらいですから(笑)。」

ーー硬式テニスからビーチテニスに転向して、ご自身でも適性の重要性は実感しましたか?

親にどうしてもこのスポーツをやってほしいと熱望されていたり、本人がそのスポーツがすごく好きだったり、競技を選ぶ理由は人それぞれだし、いろんなケースがあると思うんです。だけど、個々の体の使い方や体型、性格などで向いている競技・向いていない競技というものは、やっぱり絶対にあるなと実感しました。

僕自身も子供の頃からいろんなスポーツをやってきましたし、硬式テニスも頑張ってはいましたが、ビーチテニスではそれを上回るだけの成果が出せています。いろいろなスポーツを体験してきたうえで自分にいちばん適性のある競技を今やれていると思うので、僕個人としては、早い段階でここにたどり着くことができて良かったなと思っています。



体力と戦術、両方で勝負できるビーチテニス

ーー牧さんって、小さな頃はどんなお子さんだったんですか?

スポーツが好きで、朝いちばんに友達と集まって小学校が開いた瞬間に校庭に飛び込んでサッカーやドッヂボールを始めるような子供でした。当時はそれが毎日の日課でしたね(笑)。

テニスは小学校5年から始めていたんですけど、進学した中学にはテニス部が無かったので「とりあえず体力をつけよう」と陸上部に入りました。800mや1500mなどの長距離を走っていました。

ーーその後高校ではテニス部で活躍、部活の引退後は本格的にビーチテニスの道へと進まれるわけですが、転向を伝えた際、ご家族の反応はいかがでしたか。

家族は「どんどんやりなよ!」という感じで応援してくれました。
というのも、うちの両親はふたりともスポーツがすごく好きなんですが、出身が地方だったり当時あまり裕福ではなかったために、スポーツ選手を目指せるような環境が得られなかったそうなんです。

スポーツ選手を目指す人たちに憧れながらも自分はできなかった。だからこそ、両親にとって僕や妹がスポーツを頑張ることがおそらく両親の願いでもあるからこそ、「自分達がやりたいと思ったことをできなかったのが少し悔しいから、自分の子供達がやりたいと思うことは可能な限り応援したいし、それが自分達にとっての幸せなんだ」と、小さな頃からずっと応援してくれています。

ーー妹の萌笑さんもビーチテニス選手として活躍していますが、同じ競技に進んだのは兄の篤矢さんからの影響もあったのでしょうか。

萌笑「やっぱり兄の影響は大きかったです。私も高校までは硬式テニスをやっていたのですが、硬式テニスの応援ってすごく紳士的で静か。それが兄のやっているビーチテニスを見に行ってみると、音楽が流れていたり選手同士が交代の時にハイタッチしていたり、とにかくそこにいるみんながすごく楽しそうなのが印象的で、一目見て、「このスポーツをやってみたい!」と強く思いました。

ーー硬式テニスとビーチテニスでは、会場の雰囲気もかなり違うようですね。

ビーチテニスの試合会場では音楽が常に流れていますし、試合の解説をしながらポイントを数えてくれるDJの方がいるなど、硬式テニスとはまったく違う雰囲気の中で試合が行われています。

また、硬式テニスの場合、試合が始まったら観客含め誰も声を発さないほど静かなのですが、ビーチテニスは海でやっていることもあって、観客だけでなく通りがかったサーファーの人たちが立ち止まってて試合を観てくれたり、「頑張れよ!」と声をかけてくれたりするくらい、とても開放的です。一般的にイメージされるテニスの雰囲気と全然違うところも、ビーチテニスの魅力のひとつかもしれません。

妹の話を聞いて思い出したのですが、僕も硬式テニスをやっていた時、少しテニスを息苦しく感じてしまっていた時期があったんです。試合会場でもすごくバチバチしちゃって選手同士は挨拶もしない。そんな光景を見るたびに「なんで自分たちで面白くないようにしちゃうのかな」と思っていました。

せっかく同じ競技を志して出会えたんだから競技を通して良い交流ができた方が良いはずなのに、わざわざキツく振る舞って閉じた環境を作ってしまうのは、楽しくないなと僕は思うんです。

ビーチテニスの場合、試合中はもちろん真剣に戦いますが、試合が終わったら普通に話すしお互いの良いプレーがあれば褒めあいます。そのあたりのスイッチのオンオフが効いているのも、ビーチテニスの良いところだなと思います。

ーービーチテニスとの出会いは、伸び悩みの問題だけでなく、メンタル面で感じていた閉塞感をも払拭するきっかけになったのですね。

ビーチテニスに出会っていなければ多分今ここにもいないし、ビーチテニスがあったからこそ今の自分がいる。これまで出会ってきた人たちとも選んだ競技がビーチテニスじゃなければ、ここまで深く関わりあえなかったんじゃないかなと思うんです。

さっき少しお話ししたように、ビーチテニスは試合終了後、さっきまで戦っていた相手と自分達の試合の反省会をやったり、他の選手の試合を観ながら話したりすることができる競技です。それってすごく素敵なことだし、そんな環境だからこそ「ただその日対戦しただけの人」で終わらずいろんな選手と縁を繋いでこられたように思います。遠い地方に住んでいる人も、世界のトップ選手も、みんなすごくフレンドリー。こういう出会いもビーチテニスをやっていなかったら無かったんだろうなと時々考えます。

ちなみに僕の子供の頃の夢は「スーパーサラリーマン」だったんですよ(笑)。 ビーチテニスに出会っていなければきっとその夢の通り就職してサラリーマンになっていたと思うので、やっぱり僕の人生にビーチテニスは大きな影響をもたらしてくれたと思います。

ーー家族というとても近い距離の萌笑さんから見ても、ビーチテニスが篤矢さんに与えた離郷は大きいと思いますか?

萌笑「ビーチテニスを始めて、兄は変わったと思います。中学の時は私も同じ陸上部だったんですけど、その時は「お兄ちゃんはこれを本気でやっているのかな?」とずっと思っていました。陸上に限らず何に対しても、あまり意見や熱い思いみたいなものを表に出すタイプじゃなかったんですよね。私は結構感情や熱が出てしまうタイプだから、余計に「お兄ちゃんは本当に全力でやっているのかな」って思っちゃっていました。

だけど、ビーチテニスに出会ってからの兄は、母や父とも「変わったね」と話題になるくらい変わりました。まずよく喋るようになった(笑)。「もう今楽しくて仕方ないんだろうな、今ビーチテニスをとにかくやりたいんだろうな」って気持ちが見えるようになったから、「篤矢はビーチテニスを始めて良かったね」とみんなでよく話していました。

ーーご両親もおふたりの試合を見にこられることはあるのですか?

実は、母もビーチテニスをやっているんです。父はやっていないのですが、僕、妹、母の3人はみんな大会にも出場しているので、ビーチテニス界での牧家はちょっと有名かもしれないです(笑)。

一同:(笑)

ーー予想外でした(笑)! でも家族みんながやれると言うことは、年齢性別問わず楽しめる競技でもあるということですね。



選手としての引退も考えたコロナ渦の2年間

ーー失礼ながら、とても楽しそうなスポーツなのに日本での知名度はまだそこまで高くないように思います。海外では、現在どういった状況なのでしょうか。

今は特にブラジルとイタリアで急成長していて、ビーチテニスだけで十分生活できる選手も数多く出てきています。ITF(International Tennis Federation)にビーチテニスも加入しているため、世界ランキングもあります。また、ここ数年で大きな大会が世界中で開催されるようになってきていて、その中には「ワールドビーチゲームズ」というIOC主催の大会などもあります。ここ数年は開催されていないのですが、日本でもコロナ前には賞金総額1万ドル、5000ドルといった大規模な大会が開かれるようになってきていたところでした。

ーー世情が落ち着いてまた大会が開催しやすい状態になれば、国内のビーチテニスもより発展していけそうですね。篤矢さんはビーチテニスをもっともっと広めていくために、何が必要だと考えていますか?

それは本当に難しいですね。答えが解っていれば困っていないのですが……(笑)。

一同:(笑)

ただ、ビーチテニスができる場所を増やすことと、認知の拡大、この2点は重要かなと考えています。認知についてはビーチテニス選手達がSNS等で普及していく形が合っているように思うのですが、なかなかそこに着手できる人がいないのが課題です。だから今は自分達が、その部分を担っていきたいと思っています。

あとは、まず「やってみたい」と思ってくれた人がすぐに体験できる環境を整えていく必要があるんじゃないかなと考えて、杉田さんと一緒にビーチテニスのスクールを始めました。ビーチテニスは専用コートがないとできない競技ですので、スクール運営だけでなく、ゆくゆくは全国にビーチテニスができる場所を増やしていきたいですね。

ーーちなみに今スクールに通っている生徒さん達は、どのようなきっかけで通い始めた方が多いのでしょうか?

まずはすでにビーチテニスをやっていて「もっと上手くなりたい」と通っている方々。あとはもともとテニスをやっていて「久々にちょっとやってみようかな」といった気持ちで体験に来られた方などが多いです。あとは小学生などのジュニア枠ですね。年齢層も性別も、本当にみんなバラバラです。

ーー競技を普及していくうえで、ジュニア選手の育成は大切ですよね。

ただ少し難しいのが、「どうせやるならメジャースポーツをやってほしい」と考える親御さんも多くて……。「ビーチテニスをやりたい」という子供に「それなら硬式テニスをやりなさい」と言う気持ちも分かるので、僕たちはビーチテニスの良いところを少しでも知って貰えるように努力していかなくちゃいけないですね。

今通ってくれている子達がどうしてこんなに長く続けてくれているのか、何を特に楽しいと思ってくれているのかを聞いて、伝えていくことは、僕達にとっての課題でもあると思っています。

世界的に見ても、ビーチテニスが盛り上がってきている国って、ジュニア選手のレベルがすごく高いんです。それこそ日本国内ではそこそこ上手な方に入る選手が、一瞬で負けてしまうくらいの実力を持った子もいる。そんな子供がのちのち選手になって、またジュニア選手を育成して……といった感じで、盛り上がっている国では選手が育っていくための土台がしっかり出来上がっているんですよね。そういったシステムを日本でも作っていかなくちゃいけないと思ったのも、スクール運営に乗り出した理由のひとつです。

ーー今スクールに通っている子供たちの反応はいかがですか?

すごく楽しんでくれています。スポーツをしながら地面をゴロゴロ転がったり砂いじりもできるのでみんな自由に動き回っていますね。教える身としては大変なところでもあるんですが(笑)、裸足になって走り回れる環境は彼らにとって大きな刺激になっているんだろうなと思います。「休憩だよ」って声をかけても聞こえないくらい、無心で砂を触っている子もいるくらい。開放感も楽しんでくれているんでしょうね。

ーー篤矢さんはスクール運営やお父様の会社の補佐など、競技と並行してたくさんの仕事をこなしていらっしゃいますよね。日々、どんな生活を送っているのでしょうか。

今は、月曜から水曜までは父の会社の仕事を手伝いつつ、将来的に後を継ぐことも考えていろいろと勉強させてもらっています。木曜と金曜と日曜は小田急藤沢テニスガーデンでビーチテニスのレッスン講師を行いつつ、合間で杉田さんや他の選手と練習。土曜は元日本代表であり、自身も代表監督を務めていた相澤幸太郎さんが主催している若手育成プロジェクトのレッスン担当として、茅ヶ崎の海でレッスンをしたり自分の練習を行ったりしています。なので、仕事としては週7、その中でビートテニスには週4で触れられる環境です。雨が降ったらコートが使えなくなるので、雨が降った日はお休みですね(笑)。

ーーすごく多忙な毎日ですね! 先ほどお父様の会社を手伝われているというお話がありましたが、将来的にも今のバランスで突き詰めていこうと思っていらっしゃるのでしょうか。

実はそれが今、僕自身もまとまりきらず悩んでいるところなんです。

国内で取れる大きなタイトルを全部取ってしまったタイミングでコロナが蔓延して、大会も全部無くなって。何を目標にすれば良いのかもわからないし、そもそも試合もできないし、といった行き場のない思いを抱えた状態で2年ほど過ごしているうちに、ビーチテニスに対する気持ちが無くなりかけていた時期があったんです。

何のために練習しているのかわからないし、世界的に見たらまだまだですが日本のビーチテニス界で獲りたかった賞も獲りきれている。今考えると、モチベーションを無くしてしまっていたのかもしれません。以前は自信とやる気に満ち溢れていたのに、コロナが流行してからの数年は「もっと強くなりたい」という感情ごとどこかにいってしまって、去年までは選手としてこのままフェードアウトしていくのかなと思ったりもしていました。

だけど今年に入ってから、再び選手としての気持ちに引き戻されつつあるんです。

やっぱりビーチテニスが好きなので、選手としての熱意を失いかけていた時でも「自分が選手じゃなくなっても啓蒙や環境整備には力を入れ続けていきたい」、「ビーチテニスが職業として成り立つ環境を日本で作っていきたい」と考えていましたし、その思いはも変わらず持っています。でも今はそれを裏方としてじゃなくて、選手として世界で戦う背中を後輩に見せつつ、頑張っていきたいと思うようになりました。

ただ、僕も今年で26歳になります。

試合や大会が無い期間を経て、そして自分自身が歳を重ねてきたことで、「やっぱり仕事は仕事でしっかりやっていかなくてはならない」と、強く思うようになりました。両親とも、父が還暦を迎える頃には僕がしっかりと引き継げるくらいになっていたいと話しているので、そう考えると僕にはもう全然時間が足りないんですよね。会社の方も、今の僕では従業員の方々にも認めてもらえないと思うので、納得してもらえるだけの自分にならなければいけない。だから多少忙しくなっても、限られた時間を有効に使わなくてはいけないんです。

ビーチテニスへのやる気を無くしてモヤモヤしていた時期は仕事にも全然熱意をもって取り組めなかったのに、今年になって競技者としての熱意が再燃し始めたのと同時に、仕事や会社に対しての気持ちもはっきりと自覚して。自分でも「どうして同じタイミングで……」と思ったりもしますが、どちらにも真剣に関わってくれている方がいる以上、僕も真剣に考えなくてはいけない。

そういった理由で、今後競技と仕事のバランスをどう取っていくのか、そして将来的にどう進んでいくべきなのかが、まだ自分の中でまとまっていない状態なんです。



応援は、僕を支えるパワーの源

ーー篤矢さん自身もビーチテニスを始めてからいろいろな方の応援を受けてこられたと思うのですが、その中でも特に心に残っている方はいらっしゃいますか?

やっぱりいちばん近くでいつも応援してくれている家族と、杉田さんですね。杉田さんには学生時代もずっとコートを自由に使わせてもらって、妹が競技を始めてからは妹ともどもお世話になって。杉田さんにとっては何の得にもならないのに存分に練習できる環境を提供し続けてくれて、本当に感謝しています。いつでも練習に打ち込める環境があったからこそここまで成長することができたと思うし、逆にこの環境が無ければここまでくるのは難しかったかもしれません。

ーービーチテニスの練習は基本的に海で行われるんですよね。

そうなんです。だからまず、練習を行うハードルが高いんですよね。

僕の場合、練習できるいちばん近い海が鵠沼海岸なんですが、コート自体の数が少ないからビーチバレーコートのネットを張り替えて使わせてもらっているような状況で。さらに、内陸部は風がさほど強くなくても海辺まで行ってみると強すぎてまったく練習ができないなんてこともしょっちゅうです。小田急藤沢テニスガーデンのコートはそういった不安が無いので、安定して練習できる環境でとてもありがたいです。

ーー試合や大会で受けた応援で印象に残っていることはありますか?

ビーチテニスを観てくれている人たちって、みんな楽しそうなんです。ビーチテニスという競技そのものを好きでいてくれるから、敵味方関係なく、すべての選手に対して応援を向けてくれる方が多いんですよね。

例えば僕がすごく良い形でポイントを取れた時、僕の応援に来てくれている方々はもちろんですが、同じように相手選手の応援にきてくれている方々も「今のはすごいね!と盛り上がってくれるんです。逆の場合も同じ。ビーチテニスは、選手の良いプレーに対してそこにいる全員が讃え合うことができる競技なんですよね。

ーーある意味紳士的というか、選手に対するリスペクトがあるんですね。

「素晴らしいものは素晴らしい、だから肯定しよう」という感覚をみんなが共通して持っているように思います。個人競技ではよくあるのかもしれませんが、対戦するような競技ではあまり見たことがない光景だったので、最初に見た時は、衝撃を受けました。

この感覚はオーディエンスだけじゃなく選手同士にもあって、試合中でも相手のすごく良いプレーを受けた時は「今のプレーはとても良かったよ」と声をかけ合ったりします。

先日久々に杉田さんと妹と3人でイタリアの世界選手権に参加してきたのですが、そこでもスペインとイタリアの試合で、両国の応援団が自国の選手だけでなく相手選手の応援もしている光景を目にして、改めて素敵な競技だなと思いました。

ーーお互いの良いところを認め合えることは、人間性にもすごくプラスに作用するように思いますね。最後に、篤矢さんにとって応援とは何かを聞かせていただけますか?

応援は、僕を支えるパワーの源です。

ビーチテニスを始めた当初、実は選手として頑張りたいという気持ちが空回りしていたような時期があったんです。当時はパートナーと2人で試合に出ていたのですが、なかなか勝てないと焦ったりモヤモヤして、正直、試合中やコート外での態度が良くなかったこともありました。

そんな僕の姿を見た杉田さんに、「その振る舞いは美しくないし、篤矢の姿を見る人をがっかりさせてしまうよ」と言われたんです。「お前が選手として頑張りたいなら、応援される人間にならないといけない。自分が楽しむだけで選手と言えるのか、何のためにビーチテニスをやっているのかを考えるべきだ」と言われて、初めて「応援してもらえる選手になりたい」と思いました。

その言葉をきっかけに、相手選手のプレーで観客が盛り上がっているのを目の当たりにした時にすごく悔しく思えるようになったし、同時に自分も盛り上げたいと思うようになりました。

ビーチテニスを始めたきっかけは「自分が楽しいと思ったことをやりたい」というところでしたが、「選手として戦っていくなら、観客や応援してくれている人たちのことも考えられてこそ選手だ」と考えられるようになったんです。

あれから何年も経って、少しずつあの頃よりも応援していただけるような選手に近付いてこられたかなと思います。だけど僕の根幹にあるのは、今も変わらず「応援してもらえる選手でありたい」という思いです。

その応援は、別に僕に向けられるものじゃなくてもいいんです。

良いプレーの結果として僕たちへの声援が向けられるのはもちろん嬉しいけど、対戦相手も含めてパフォーマンスしている選手の試合で、全員に楽しんでもらえればそれで満足なんです。偶然試合を目にした人が「すごく面白そうだな」って思ってもらえる試合ができていれば、その楽しさがきっと普及にも繋がっていくはずだから。

選手としての活動や普及活動全部をひっくるめて、「篤矢、頑張れよ!」ってみんなが投げかけてくれる応援の声が、今の僕を支えるパワーの源です。