SPORTIST STORY
KICK BOXER
山崎秀晃
HIDEAKI YAMAZAKI
STORY

自分に夢を掛けてくれる人達の声が力になる

伝統派空手に培われたスピードとパワーを武器に、一撃必殺の攻撃でKOを連発。Krushで2階級を制覇したのちK-1 WORLD GP 2016で優勝し、2020年には33歳にしてK-1世界チャンピオンとなった山崎秀晃。新生K-1創設時からK-1一筋で戦い続けてきた彼は、今や団体を代表する選手のひとりと呼ばれる存在にまでなった。自身が憧れたK-1への恩義と信念を胸に、がむしゃらに戦い続けて手にした王者の座。その場所を手にしたあと、果たして何を目指すのだろうか。

Interview / Chikayuki Endo
Text / Remi Matsunaga 
Photo / Naoto Shimada
Interview date / 2023.02.17 

格闘技を始めた時の信念を、僕は大切にしていきたい

ーー幼少期の山崎さんはどんな子供でしたか?

一言で言うとやんちゃ坊主でしたね。親は学校に呼び出されたり友達の家に一緒に謝りに行ったりすることもよくあったので、大変だったと思います。体を動かすことも大好きで、5歳から始めた空手の他に野球と水泳もやっていました。野球ではスポーツ特待生としていくつかの高校から声もかかっていたのですが、野球よりも空手の方が日本一になれるかなという考えもあり、最終的に空手を選びました。野球もすごく楽しかったんですけどね。

ーー好きなことと1番になれそうなこと、どちらを選ぶかで悩みませんでしたか?

空手はもともと向いていたのか、あまり練習しなくても勝てていたんです。でも野球は部活の上下関係とかも厳しそうなイメージがあったから空手を選んだっていうのも正直なところです(笑)。でも空手を選んで進学した学校での寮生活もめちゃくちゃ厳しかったので、結果的には野球と空手、どちらを選んでも厳しいのは同じだったんですけどね。

ーー高校時代の経験は、その後の人生にも活きていると思いますか。

それはもちろん、間違いなく僕の人生において良い経験になりました。当時はいろいろなことを不条理に感じていましたが、実際社会に出るとそんなことってたくさんありますよね。だから今では、「言葉の選び方や相手が何を考えているのかを察する力をあの頃培うことができたな」とポジティブに捉えています。ただ、もう一度戻るかと言われたら絶対に戻りたくないですけどね(笑)。


ーー山崎さんがK-1の世界に足を踏み入れた頃って、ちょうど新生K1が立ち上がった時期でしたよね。

僕が上京した頃に魔裟斗選手の引退とともにK-1の舞台が一旦消滅してしまって、そこから新たに立ち上がったのが新生K-1です。新生K-1は「またここからひとつのブランドとして、会社も選手も一丸となってみんなで盛り上げていこう」という気持ちで、みんなで底上げしてきた舞台です。そのうち武尊などK-1を代表する選手が現れ始め、メディアにも少しずつ取り上げてもらえるようになりました。

ーーK-1の人気を高めるため、認知度をあげるために必要なのはどのようなことだとお考えですか。

まず、選手ひとりひとりの気持ちが重要だと思います。野心の集合体が、団体を大きくしていくんじゃないでしょうか。

ーーそんな想いで発足した新生K-1の立ち上げから10年以上の時が経ちますが、山崎さん自身の考え方やK-1への思いに変化はありますか?

団体に入ったばかりの頃は、憧れや漠然とした「1番になりたい」という気持ちだけを追いかけていたような気がします。だけど自分がチャンピオンになり、たくさんの人に見られる立場になってからは、団体を広めて多くの人に観てもらうことも重要だと考えるようになりました。これまでのように単純に試合を観てもらうのとは違って、選手としての生き方にも責任感がより伴ってくる。だから入った時と今とでは、まったく違う感覚で戦っています。

ーー幼少期から抱いていた「1番になりたい」という夢を叶えたあとは、自分のためだけではなく団体のためにという気持ちが強まってきたのですね。

そんな感覚です。当時僕が憧れていた選手たちのように、今は自分が責任を持つ立場になったと思っているので。この団体で自分が1番になったからこそ、口だけでやっているような選手には負けていられない。より戦い方や生き方で、引っ張っていかないとなという気持ちです。

ーー自身の団体で一度トップになったからこそ、新たな場所で勝負したいと思うことはありませんか?

それは今のところ無いですね。K-1から受けた恩もあるし、自分自身が憧れてきたK-1を大きくしたいという気持ちが強いので。自分だけのことだけを考えるなら今の団体を飛び出してメディアに注目されている場所で戦うのが手っ取り早いとは思いますが、これまでの恩義や自分が格闘技を始めた時の信念を僕は大切にしていきたいと思っているので、今はここで頑張っていきたいです。


スポーツの枠を超えた真剣勝負、その先に人の心を動かす何かがある



ーー現在、K-1以外にもRIZIN FIGHTING FEDERATIONやBreakingDownなどさまざまな団体がありますが、格闘技コンテンツの露出が増える反面、それらのメディアへの打ち出し方によってネガティブなイメージを抱いている方も少なからずいらっしゃいます。もちろん団体ごとにカラーはまったく異なるとは思いますが、日本の格闘コンテンツに向けられるイメージに対して、山崎さんは今どのようにお考えですか。

例えばBreakingDownなどのメディアでの取り上げられ方に対しては、プロでやっている選手からすると口出ししたくなるところではあると思います。ただ、やっている内容が良いとは思わないですが、そこで数字が出ている以上、ビジネスとして成り立っているのも事実。だから批判しても仕方がないというか、批判することに時間を使うくらいなら自分達の団体を盛り上げることに力を使った方が良いように思います。プロの興行であってもビジネスの上で舞台が成り立っているので、そこで広告がつかなければ、そしてチケットが売れなければ、大きな会場を借りることができなくなりますし、それはすなわち僕達の戦う場所が無くなることにも繋がります。でも、個人としての心情を話すと、これからの子供たちがああいう打ち出し方や試合内容を見て「1回警察に捕まったくらいの方がカッコいいのかな」みたいな価値観を持ってしまうのはどうなのかなとも思います。今、地上波に規制がかかって放送されなくなった分ネットでそういったコンテンツが広がるのは理解できるし、規制されていない場所のルールの中でそれがビジネスとして成り立っているのも認めます。だけど、それが現行の法律や放映ルールの中で認められてしまっているなら、団体に対してとやかく言うよりもネットに対しての規制を進めることの方が重要なのではないかなと考えています。

ーー山崎さんは格闘技=スポーツと捉えているのでしょうか。

前提としてはスポーツですが、同時にスポーツを超えた何かがあるものだとも思っています。真剣勝負の場には人生を懸けた戦いがありますし、そこが観る人の心を動かすんじゃないでしょうか。

ーーよく他のスポーツだと「負けから得られるものもある」という言葉も耳にしますが、格闘技においてはそうではない?

負けから学んだり得たりするものは僕には無いかな。若いうちの負けからは、確かに得られるものもあると思う。もちろん若かろうが勝つ方が絶対に良いですけどね。でもベテランになって、いろんな経験を経たり感覚を掴んだりした後の負けから得られるものっていうのはあまり無いんじゃないでしょうか。僕が負けず嫌いすぎるだけかもしれないですけどね(笑)。でもこういった考えが自分の中に生まれてきたのは、実際にプロとして戦うようになってからですね。ひとつの勝ち負けが人生を変える、それこそ人生の奪い合いのような場所に身を置くようになってから実感を伴ってきたような感じです。勝てば認めてもらえるし、負ければその分遠回りになりますからね。

ーーちなみに、試合が引き分けで終わることもありますよね?

それは、デビュー間も無い若い選手達に対して「この状態で延長戦に入るのは厳しいだろう」という、ある意味気遣いのような形で下されることが多いんじゃないかなと思います。上に行けば行くほど、延長戦まで行って必ず結果をはっきり出しますね。最近はどの団体もこういった感じでやっているんじゃないでしょうか。

ーー先程の話にも通じるかと思うのですが、格闘技を観る人々の価値観や、格闘技のどういった部分に対して「カッコいい」と思うかも時代と共に変化してきているように感じます。単純に不良っぽさや悪さ=カッコ良さという時代でも無くなった今、これからの格闘技はどのような魅力でもって観客を惹きつけていくべきだと思いますか。

僕も子供の頃はケンカっぱやい感じの記者会見を観るのも好きだったし、そういった部分を強調して引き付ける手法は、今のBreakingDownにも通じる格闘技の根源的な部分だとは思うんですよね。でも心に何かを残すためにはそれだけじゃいけなくて。僕自身も、多少のトラッシュトークがあったとしても同時に格闘家としての信念を貫いて有言実行の試合を見せてくれる姿にすごく心を動かされたので、個人的には子供の頃に自分が憧れた選手達のような姿を見せていきたいと思っています。


ーーこれまで戦ってきた中で、いちばん心に残っている試合はやはり2020年9月22日、K-1 WORLD GP王座に輝いた試合でしょうか。

そうですね、結果として安保瑠輝也選手を倒してK-1世界チャンピオンになりましたが、あの試合はこれで負けたら自分の選手生活のピリオドになると覚悟して挑んだ試合でした。膝の調子もあまり良く無い中で挑んだ試合だったこともあり、自分としても「負けたらもう一度挑戦する」という選択肢は無かったんです。自分のこれまでの格闘技人生すべてを出しきって、それこそ5歳で空手を始めてから積み重ねてきたたくさんの点が重なり、ひとつの線として繋がった瞬間。それがあの試合での勝利でした。

ーー試合前後、周囲の方々からはどんな言葉を掛けられましたか?

試合前、先輩方には「お前がチャンピオンになってくれることが俺たちの夢なんだ」と言っていただきました。僕の母は、僕が痛い目にあうのを見るのが辛かったみたいで、「もうええんちゃうか、辞め時なんちゃうか」なんて言っていました。それでも「何かがあったら嫌だから」と毎試合観にきてくれていましたけど、実際毎回看取りにくるくらいの気持ちだったと思います。勝った後は、本当にみんなが涙を流して喜んでくれましたね。自分のことじゃ無いのに、こんなにたくさんの人がここまで喜んでくれるのかと思うほどの熱狂ぶりで、本当に嬉しかったです。いろんな方からたくさん連絡を貰いました。これまでやってきて良かったなと思えた瞬間でした。

ーー家族の応援も大きな力になりましたか?

もちろん、それはもう何物にも変えられない力になりました。家族がいない頃と今を比べると、体の強度は昔の方が強いかもしれませんが、地力は今の方が圧倒的に強くなったはず。守るべきものがあるからこそ底力に厚みが増したし、自分自身の領域が広くなったように思います。


家族の存在が自分の底力をより引き出してくれた

ーー山崎さんが戦い続けるモチベーションは、どこから湧いてきていると思いますか。

若い時のモチベーションは、すべて自分自身のための欲望みたいなところから湧き出てきていましたね。有名になりたい、金を稼ぎたい、自己証明したい、そんな気持ちで一心不乱に戦っていました。だけど年齢を重ねて、特に結婚して子供が生まれてからは、そのモチベーションの源が家族の存在になりました。日常生活のすべてがモチベーションに繋がっているような感覚ですし、実際に、家族の存在がより自分の底力を引き出してくれています。

ーー格闘技の世界に身を置くことで大きな怪我をなさることもあるかと思います。

僕は自分の痛みよりも、僕の怪我を見て家族が辛そうにしていることのほうがすごく辛いんです。だから心配を掛けてしまうことについてはいつも申し訳ない気持ちでいます。だけど家族にも僕の結果に付いてきてもらうしかないわけですし、辛いと思わせてしまうことが僕にとってもいちばん苦しいからこそ、勝ち続けなくてはならないんですよね。

ーー勝ち続けたい思いの反面、年齢と共に思い通りに体が動かない場面も出てくるかと思います。気持ちとフィジカルでのギャップを感じることは無いのでしょうか。

僕自身は年齢のせいで体力や筋力が衰えたと思っていないですし、仮にそういうことがあったとしても、さらなる練習量でカバーしていきたいと考えています。若手選手との体力差や怪我についても、「お前らにはこれくらいのハンデがちょうどいいやろう」くらいの気持ち。僕、負けん気だけは強いですし、元来めちゃくちゃポジティブなんですよ(笑)

ーーそこは子供の頃から変わらずなんですね。

むしろプロになってからの方が強まったかもしれません。子供の時はちょっと体の大きい奴が出てきたら怯むこともあったんですけど、プロになって生活が懸かるようになってからは、より勝ちにこだわるようになりました。そうやって環境に合わせて変化してきたことが、自分自身の強さに繋がってきたように思います。



ーー気持ちの強さが勝利に直結する格闘技ですが、同時にたった1試合の怪我でキャリアを失うこともあります。その怖さを感じたことはありませんか?

選手にもよるかもしれませんが、僕個人としてはまったく無いです。試合に出ている時って、怪我をしても痛く無いんです。そもそも「怪我をするかも」「負けるかも」と思いながら試合に出ている選手はいないはず。僕自身もなるようにしかならないし、「絶対に勝つ、怪我もしない」と思って毎回試合に出ています。もちろん頭のどこかでリスクがあることも解ってはいるんですけど……。言葉に表すのが難しいんですが、「死なないだろう」と思っているから自信も湧くというか。スーパー自信家かつポジティブ人間なので、怖さを感じることって無いんですよね。何なら負けた直後でも「次絶対やってやる」ってその瞬間から考え始めているくらいです(笑)。

ーープロになってからどんな相手でもまったく怯むことなく戦えるようになったのは、日々の重ねてきた練習のおかげですか?

それももちろんありますが、どちらかというと感覚が麻痺してきているっていうのが正直なところです。年々怖さを感じなくなってきた。覚悟の強さとも繋がっているのかもしれないですね。

ーーどの競技においても言えることかもしれませんが、やはり確固たる信念や覚悟がそのまま強さに直結するものなんですね。

僕は特にそれが顕著なタイプだと思います。

ーーそのメンタルは常日頃から維持されているものなのでしょうか。それとも試合に向けて日々少しずつ高めていくもの?

強いメンタルが前提としてまずあって、そこからさらに試合に向けてブーストしていく感覚ですね。試合に向けた日々の中で行う練習の積み重ねも、強いメンタルをより後押しする重要な要素になります。

ーー試合中に、練習のことを思い返すような瞬間はありますか?

僕は無いですね。試合中は一瞬の判断がすべて重要になってくるので思い返している時間もないし、やばいと思った時は「ここからまだまだ盛り返せる」と考えるしかない。試合の場ではその時持っている力を発揮するしかないので、練習は試合前までに自分の体と気持ちを高めていくためのものという感覚です。だからあまり「一発ごとに思いを込めて」みたいなことも、僕の場合は無くて。試合中は相手を倒すことだけを考えて進めています。


応援とは、底力を生み出す原動力

ーー山崎さんの中での「強さ」の基準も、今と昔で変わりましたか?

ありきたりかもしれませんが、家族を持ってから格闘技の結果やフィジカル的な強さだけじゃ無く、いろんな強さがあるなと考えるようになりました。人間的な強さ、父としての強さ、いろんな強さがあるなと自然と思えるようになってきました。

ーー山崎さんが弱気になるようなことってあるんでしょうか。

ありますよ、ちょうど今、僕が経営しているジムの2号店のオープン間際なので「大丈夫かな〜」って弱気になっています(笑)。

こればっかりは自分の努力や日々のトレーニングだけでどうにかできるものではないですからね。

ーーそういった意味では経営は山崎さんにとって新たな領域でのチャレンジなのかもしれませんね。あと、選手活動と並行してジムの経営以外にも子供向けの教室や講師としての活動も行っていますよね。

横浜・青葉台と町田の2ヶ所でのジム経営と、子供向けの空手教室とキック教室の運営、あとジム内で行われているクラスで講師も担当しています。イメージ通りに進むことばかりではありませんし、多くの人が関わっていることなので良いこともあれば悪いこともあります。だけど一歩踏み出さないと何も進まないので。メインを疎かにすることなくどれも全力で取り組めているので、日々とても充実しています。

ーーK−1という団体の認知度を上げる活動を行いつつ、選手として、そして新たな領域でもチャレンジを続ける姿は、先におっしゃっていた通り、山崎選手の後に続くたくさんの選手や子供たちに希望を示せる生き方そのものだと思います。最後に、山崎選手にとって「応援」とは何でしょうか。

もう1ラウンド戦い切るため、最後のもう1蹴りに繋げるための原動力です。観客の歓声が良い試合に繋がることは無いかもしれないけど、でも声援はいつも自分のテンションを高めてくれる。自分のためだけに強くなるのは限界がありますが、応援してくれている存在があるからこそ発揮できる底力は絶対にあります。自分に夢を掛けてくれる人達の声が力になる、それが僕にとっての応援です。