あと1ミリ、高く
チアリーディングは2021年には国際オリンピック委員会(IOC)から正式に認定され、国内外で注目を集めている競技。2023年に行われる世界大会を前に今まさに最終選考が行われている日本代表団、そのヘッドコーチを務めるのが笠原園花だ。自身も選手として世界大会に出場、海外での活動歴も長い笠原の胸に燃えるのは「日本のチアを良くするために」という強い気持ち。国内から海外へ、そして選手から指導者へ。場所や立場が変わっても揺るがないその熱いマインドは、どのように作られてきたのだろうか。
Interview / SPORTIST
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada
初めての世界大会、そこには引退の決意を覆すほどの衝撃があった
ーーまずは競技チアという種目について、詳しく教えていただけますか。
チアリーディングには競技チアの他にもチアダンスなどいろいろな種類に分かれていますが、競技におけるチアリーディングは一言で言うと「アクロバティックなチアリーディング」です。
複数人で組体操のように層を作るスタンツ、回転や跳躍で魅せるタンブリング、そしてダンスとさまざまな要素が重なり合ってひとつの演技が作られる競技です。演技時間は大会規則によって変わりますがおおよそ2分15秒から2分30秒。評価されるポイントは大きく分けると技の難易度と綺麗さのふたつですが、笑顔やエナジーといった表現やパフォーマンスなども総合的に評価されます。
ーー競技として行われるチアリーディングは、応援を目的としたチアとはまた違ったマインドで行われるものとお聞きしました。
もちろん応援する気持ちを持って演技することには変わりはありませんが、技の精度を上げることや大会で良い成績を取ることを目指しているので、応援を主な目的とするチアとはまた違うと思います。私は高校1年でチアリーディングを始めてからずっと競技チアで活動しています。
ーー高校大学とチアリーディング部に所属、大学卒業後も会社員として働きつつ活動を続けられてきたそうですね。2016年には日本代表として世界選手権にも出場されています。
アメリカで行われた2016年の世界選手権の時、私は24歳。この大会を最後に引退しようと考えていました。
だけど、初めて行った世界選手権のあまりのレベルの高さに驚いて。それこそ「今までやってきたチアリーディングは何だったんだろう」と思うほどの衝撃でした。周りの選手たちに圧倒されて「このままでは終われない」と思ったし、同時に「日本のチアリーディングを改革していかないと世界では戦えない」と思い知りました。
この大会に出たことで、「海外の選手たちは一体どんな練習をしているんだろう、その現場に自分の身を置いてみたい」と考えるようになったんです。
ーー引退を考えていた大会がチアを続けていく転機へと変わったのですね。当時感じた日本の課題点とは、具体的にどのようなところだったのでしょうか。
何もかも、全部でしたね。チアリーディングの発祥はアメリカなのですが、日本は言語の関係もあって他の国に比べて情報が圧倒的に入ってきていない。それもあってか、日本で行われているテクニックは、世界と比べると30年くらい遅れているイメージでした。
ーー表現の部分でも、日本と海外で差を感じた部分はありましたか?
評価は同じ基準・ルールで行われているのですが、やはり海外の選手は表現力に長けているし、笑顔のレパートリーも豊富です。日本の場合は、どちらかというとエナジーよりも演技を綺麗にまとめることに重きを置く傾向にありますね。
ーー世界選手権後は、そのまま選手としての活動を継続することに?
それが、実は世界選手権前の時点で、世界選手権を終えたらドバイで駐在勤務をすることが決まっていたんです。大会に出る前までは「この大会を区切りとしてチアを完全に引退する」と決めていたこともあって、世界選手権が終わった1週間後にはドバイに引っ越しました。
だけど、「チアはここで引退しよう」と思ってドバイに飛んだものの、どうしても世界選手権での衝撃を自分の中から消せなくて。モヤモヤした気持ちを抱えたまま、結局ドバイでは2年半程過ごしました。
ーー引退を揺るがすほどの衝撃を受けてからの2年半、チアに触れられないのはなかなか苦しかったのでは?
ドバイはチア文化がまったく無い国なので駐在中はチア文化に触れることもできず、でも仕事を辞めてまで続ける決断もできず。モヤモヤした気持ちを長く引きずっていました。そこで2018年に、一旦休職して3ヶ月だけオーストラリアに行くことにしたんです。
オーストラリアもチアが急成長している国なので、練習方法もテクニックも最新のものばかり。「私が学びたかったのはこれだ!」と言い切れるものが目の前にありました。
世界選手権の時に思った「自分の身を置きたい環境」の中で大きく成長できた有意義な3ヶ月でしたが、やっぱり残してきた仕事もあります。「3ヶ月やれたんだからあとは仕事に専念しよう」とドバイに戻りました。
するとドバイに戻ってから5ヶ月後、オーストラリアで一緒に練習していたチームから「一緒に世界大会に行こう、メンバーに入らないか?」とオファーを受けたんです。これはもう行くしかないなと思いました。
強いチームと世界を目指せるチャンスなんて絶対もう無いかもしれない。まだ駐在期間が残っていたこともあってすごく迷いましたが、会社を辞めて、オーストラリアに渡ることを決めました。
ーー初めての世界選手権でのエピソードといいオーストラリアからのオファーといい、辞めようと思った時に必ず転機が訪れるなんて、チアに呼ばれているとしか思えませんね。
たしかに、あの時は自分のためにレールが引かれたような感覚でしたね。今思い返してみても、あの時仕事を選ばず思い切ってオーストラリアに渡って良かったと思っています。
コロナの蔓延で夢半ばの帰国。だけど気持ちを持ち直すきっかけもチアリーディングだった
ーーオーストラリアでは選手として活動を行いつつ、コーチとして指導も行っていたそうですね。
もともとコーチの道を目指していたわけではなかったのですが、オーストラリアに住む日本人って大体日本食レストラン等の日本人コミュニティの中で働くことが多いんですね。でもせっかくオーストラリアにいるのに日本に近い環境に身を置くというのも私は何か違う気がして。そこで、メルボルンで日系人向けチアリーディング教室を開いて、講師を始めたんです。
ーーご自身で教室を開かれたのですか?
はい、現地で人を集めるところから全部自分でやりました。あの時は必死だったので、やりたい仕事がないなら自分で作ろうという気持ちでした。
ーーその後、オーストラリアにはどれくらい滞在したのでしょうか。
2018年頭に渡って、2020年の3月末に帰国しました。2020年の2月にコロナが蔓延し始めたことが、帰国のきっかけです。
ーーやはりコロナの影響は大きかったのですね。
世界大会は毎年4月に開催されるので、コロナが蔓延し始めた2月は本当に大会直前の時期。ちょうど2週間後には渡米するという時に、コロナがオーストラリアでも拡がってきてしまったんです。
オーストラリアは世界最長6ヶ月のロックダウンを行ったのですが、ロックダウンの内容も1日1回しか外に出られない、家族のうち買い物に出られるのはひとりだけなど、日本の緊急事態宣言に比べてもかなり厳しいものでした。
ロックダウンが実際に開始される1ヶ月前の3月時点で、これらに加えて滞在中の外国人に対しての救済措置なども無くなるので早めに帰国してくださいとのアナウンスがあり、「この状況では世界大会に出られそうにない」と思ったので、コーチに「帰国します」と伝えて日本に帰りました。
ーー世界大会を目前に控えての帰国、悔しい思いもあったのではないでしょうか。
いちばん苦しかったのは、チームメイトに別れの挨拶もできず帰国することになってしまったことです。
世界的にも初めてのことだったし、みんながこれからどんな状況になるのかわからない中だったので仕方がないことなのですが、3月末の段階では世界大会の主催からも「延期の可能性が高い」といった感じの、ちょっと曖昧な発表しか行われませんでした。
すぐに中止が決まらなかったので私がコーチに「帰国する」と伝えた時も、「まだ中止と決まったわけじゃないんだからオーストラリアに残りなさい」と言われました。でも私は「この状況で開催されることはありえない」と思っていたし、半年間のロックダウンを外国人の私が何の救済措置も無く過ごすことへの恐怖感もあった。だからコーチの気持ちもすごく解ったけど、反対を押し切って帰ってきちゃったんです。
練習も「明日から練習は無し」というくらい、本当に急に無くなってしまったので、最後にチームメイトと会うこともできず。「みんなにバイバイも言えないままだった」と、帰国後も1年くらい引きずりました。「コーチはもう怒ってないかな、みんなは黙って帰国したことにがっかりしてないかな」と、ずっと気にしてしまっていましたね。
そして世界大会に出られなかったことについても、やっぱり消化不良感が残りました。
「チアリーディングの世界大会を目指すためにオーストラリアにいる日本人」としての私のアイデンティティが急にパッと無くなってしまって、日本に帰ってきてからも「私は一体何者なんだろう」とぼんやり過ごしてしまう期間が3ヶ月ほど続きました。
ーーそこからもう一度気持ちを取り戻せたのは、何がきっかけだったんですか?
持ち直すきっかけもチアリーディングでした。
SNSで「日本に帰ってきました」と投稿したら、日本国内のいろいろなチームから指導の依頼が相次いだんです。指導依頼の他にも講演会の依頼をたくさんいただいて、「私ってこういうところに需要があるんだ」と気付きました。
ーー周りからの依頼によって、自分の需要を知ったのですね。
コーチや講演活動で生計を立てようなんてそれまでまったく考えていなかったので、3ヶ月何もせずに過ごした後、2020年の6月には別の会社に就職を決めていたんです。
就職が決まって、緊急事態宣言があけ始めた時期に指導や講演依頼が相次ぐようになったので、それからは平日は仕事、休日は指導や講演といった生活を送るようになりました。
指導先も新潟や鹿児島など、本当にいろんなところから呼んでもらえるようになったので、土日に地方に行った後そのまま月曜からまた仕事と結構ハードなスケジュールで忙しく動くことになってしまったのですが、それさえも嬉しかった。「また私の新しい道が開けた」といった感覚です。
2016年に初めて世界選手権に出た時「日本のチアを改革したい」と思った自分が、今海外の経験を糧として指導できている。「ちゃんと繋がっているんだな」と感じました。
ーー指導はオーストラリアでも行っていたそうですが、日本ならではの難しさなどはありませんでしたか?
むしろ日本の子たちはみんな集中する能力が高いので、海外よりもずっと指導しやすかったです。
オーストラリアで日系人向けのスクールを開いていた時に、所属チームのコーチに紹介されてオーストラリアの大学でチアリーディング部のコーチもやっていたんです。
オーストラリアの大学生って本当に自由で、例えば日本でよくコーチが「やる気がないなら帰りなさい!」って叱ったりすると思うんですけど、オーストラリアでそれをやったら本当に帰っちゃうんですよ。時間通り練習に来ないのも日常茶飯事だし、その理由も「電車で急に倒れたから遅刻します」とか(笑)。
でも日本ではみんな30分前に練習場に来るし、片付けも準備も手際よくさっさとやるし、コーチの話もみんなすごく真面目に聞くし。海外で鍛え上げられすぎたせいかもしれませんが、指導するうえでの困難は日本ではまったく無かったです。
ーーいつもフロンティア精神に溢れ前向きな印象の笠原さんですが、長いチア人生の中でメンタルに不調をきたすようなことは無かったのでしょうか。
海外慣れしていたし適応能力も高い方なのでホームシックなどはありませんでしたが、精神的に追い込まれていたことは結構ありますよ。技がどうしても決まらない時や落ち込んだ時に、オンラインじゃなくて、私のことをよく知ってくれている友人に直接会って日本語で話したい時ってすごくあって。でもそれができない状況の時は辛かったです。
ーーチアは笑顔で演技する競技ですが、辛い時でも笑わなくちゃいけないのって辛くないですか?
私、練習の時は結構顔に出すので「もう無理!」って時は辛い顔もしちゃうし、嫌な事は嫌って言います。演技になればちゃんと笑えるし、パッと切り替えられるんですけどね。終わった瞬間自分に戻るような感じです。
ーーそのスイッチのオンオフは、どうやって身に付けてこられたのでしょうか。
私もすごく得意な方では無いと思うんですけど、例えば2分半の演技の初っ端にミスをしてしまって、その気持ちを切り替えられないまま残りの時間を過ごしても良い演技にはならないですよね。だから、演技中のミスは無かったことにして1回忘れて切り替える、みたいな訓練はずっとしていました。
チアリーディングのコーチであれば「切り替えの重要さ」は誰もが伝えることだと思うので、そこで身に付いた切り替え能力が、普段の生活にも出ているのかもしれないです。
あと1ミリを頑張る原動力
ーー日本に戻られてからは指導者として後進育成に専念されていらっしゃいますが、まだまだ現役として続けていく道もあったのでは?
オーストラリアで2年半、仕事も辞めて全力を尽くしてチアのためだけに生きる生活を送ってきたので、やり切った感がすごくあったんです。
確かにコロナで最後の世界大会に出られなかった事は残念だけど、それでも「あっ、やり切ったな」って自分で思えたので、心残りはまったく無いですね。あとは、指導者という新たな使命を与えられたからこそ切り替えられた部分もあったと思います。
ーーまさに切り替えて次の道へ、ですね。現在は2023年に開催される世界選手権に向け一般社団法人スポーツチア&ダンス連盟(以下チアジャパン)が主となって結成する日本代表選手団のヘッドコーチとして指導にあたられていますが、今はまさに本格的な練習が始まったばかりだそうですね。
10月から本格的に練習が開始になって、現在は来週に控えた最終選考に向かって練習しているところです。
ーーこれまではチーム選抜だったところ、今年から個人のトライアウト制になったと耳にしたのですが、これはどのような意図での変更だったのでしょうか。
日本の代表となる選手は、クラブチームなどに所属している一定の選手だけの中から選ぶのではなく、国内にいるすべての選手から本当に力のある選手を選抜するものだと思います。今回は、それをいよいよ実施した形です。
ーートライアウト制でのオーディションを行っての感想はいかがでしたか。
チーム選抜でオーディションを行っていた時以上に、個々の実力が高い選手でチームを作れたと思います。ただ、クラブチームの場合はもともと決まった時間で練習が行われている場合が多いので選手全員の時間調整も難しくないのですが、個人選抜の場合住んでいる地域もみんなバラバラなので、集まれる時間が比較的少なくなってしまうというデメリットもあります。
だけどそれ以上にすごく良い選手が集まってくれたという思いの方が強いですね。チアジャパンが個人トライアウトを初めたのは今年からなのでまだまだこれからですが、「ここから日本代表がどんどん強くなっていく1年目が始まるんだな」という感触がすでにあります。歴史が動く現場に立っているような気持ちですね。
あと、今回はヘッドコーチの私がオーストラリアで活動してきたことに加えて、もうひとりのコーチ(Levi Mott氏)もアメリカ出身なので、指導も結構英語で行うことが多いんです。コーチ2人のバックグラウンドが海外なので、そういった面でもこれまでとは少し違った日本代表チームになるのではないかなと思っています。
ーー笠原さんが代表チームメンバーに求めているのは、どのようなことですか?
日本代表選手としての自覚ですね。私が2016年に世界選手権で「日本はまだまだだ」と痛感してからいろいろと改革してきましたが、これと同じ思いを今の選手たちがもう一度してしまうのでは意味がない。
世界はまだまだ上にあるけど、そのうえで自分達もベストを尽くす。さらに自分達は日本代表なのでそれに見合った練習をこなす、といった部分も考えながらやっていって欲しいなと思っています。
ーー10月からは候補メンバーとの本格的な練習が開始されていますが、現在の感触はいかがでしょうか。
個々のスキルはすごく良い。ただ、体力面やメンタル面は世界一を目指していくとなるとまだまだ難しいところなので、ここから作っていくところです。それこそが、私がいちばんやらなくてはならない部分だとも思っています。実力やスキルは間違いない選手たちなので、メンタル面を鼓舞しつつチームを上手く作り上げていくのが、私の腕の見せ所ですね。
ーー笠原さんのお話からはチアへの愛をすごく感じるのですが、そのモチベーションの源となっているものって何だと思いますか。
「日本のチアを良くしたい」、このひとことに尽きます。2016年からずっと、私を突き動かしているのはこの気持ちだけです。
ーー突き進んできた人生の中で、「あの時もっとこうしておけば」と思った事はありませんでしたか?
チアのためにいろいろな経験をしてきて大変なこともあったけど、私、そのすべてに後悔は無いんです。
会社を辞める時はものすごく悩んだけど、でもオーストラリアに行ってもドバイに残っても、どっちも正解になると思っていました。選んだ道を正しくさせる努力をしてきましたし、自分の選択を正解にするのも、その後の自分次第だから。だから私はこれまでの人生に後悔はひとつも無いです。
ーー最後に、笠原さんにとって「応援」とは何ですか?
あと1ミリを頑張る原動力です。
しんどい時に、「あと1ミリ頑張ろう」って自分を出し切る力をくれるもの。それが私にとっての応援です。