SPORTIST STORY
ICE HOCKEY PLAYER
アレックス・ラウター
ALEX RAUTER
STORY

困難を乗り越える、「律する力」とともに

横浜GRITSのリーダー的存在かつチーム全体を導くムードメーカーでもあるAlex Rauter(アレックス・ラウター)選手。母国アメリカでECHLを始めとするさまざまなリーグで活躍した彼は、スウェーデン、スロバキアなどアイスホッケー強豪国でのプレーを経て来日。プロアイスホッケー選手としてのキャリアを築きあげる中で困難に直面した時、自身の心を奮い立たせたのは「自らを律する力」だと言う。現在GRITS2年目、「横浜GRITSを日本一のチームにすること」を目標に掲げ、チームとアイスホッケーの普及に尽力する彼に話を聞いた。

Interview / Katsuaki Sato & Yuga Yanagisawa
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada
Interview date / 2023.11.14



チームOBでもあるマット・ナトルが繋いでくれた横浜GRITSとの縁



ーーアレックス選手はアメリカ・ニュージャージー州の出身だそうですね。

出身地のニュージャージー州はニューヨークの近くにある州なのですが、僕が生まれた1994年の7月にニューヨーク・レンジャースがNHL(ナショナルホッケーリーグ)で優勝したんです。決勝戦が行われたのは、僕が生まれる2日前。父がアイスホッケー選手だったこともあり、家族はみんなその試合を僕が生まれた病院で生観戦していたそうです。僕が生まれた時はみんなレンジャースの優勝に熱狂していて、僕の名前も優勝当時レンジャースにいた選手のひとりにちなんで名付けたと聞きました(笑)。

ーー強豪チームの近くに地元がありお父様もアイスホッケー選手だったということは、きっとアレックス選手も小さな頃からアイスホッケーに親しんできたのでしょうね。

生まれた時からアイスホッケーのスティックを持たされたりレンジャースグッズを着せられたりと、常にアイスホッケーが近くにある環境の中で育ちました。野球、サッカーなど他のスポーツもやりましたが、やっぱり自分の中心にあるのはいつもホッケー。子供の頃はアイスホッケー以外にも、ストリートホッケーやインラインホッケーなどもプレーしていました。

ーーアイスホッケーのプロになろうと考え始めたのはいつ頃?

子供の頃から常に考えていました。ちなみに僕は14歳まではずっとゴールキーパーをやっていたんです。15歳になるまでの間に、徐々にポジションをフォワードへとスイッチしていきました。

ーー実際にプロ入りを果たしたのはアレックス選手が19歳の頃。まだ学生だったと思うのですが、学業に励みつつプロになるのは大変だったのでは?

実際にプロになれたのは、大学生活を終えた後でした。大学在学中の終盤、僕が所属していたチームは全米トーナメントファイナルフォーに進出しました。しかし、最終的には敗戦して、大学アイスホッケーリーグでのキャリアを終えることとなりました。だけど、その大会での活躍を見てくれていたチーム関係者に声を掛けられ、決勝試合を終えた翌日にはプロ契約を結ぶことができたのです。

ーーその後、スウェーデンやスロバキアなどアメリカ国外リーグでもプレーしていますが、これはステップアップの一環としてチャレンジしたのでしょうか。

アメリカ国内でプロ契約したものの、僕はマイナーリーグに所属していてなかなか力を発揮できていませんでした。最高峰のレベルを誇るNHLにチャレンジしたいと思っていましたが、当時の自分では実力が届かず、ステップアップが叶わない状況だったのです。アメリカのマイナーリーグで3年間を過ごした後、私は世界に目を向け新たなリーグで挑戦しようと考え、スウェーデンに渡りました。世界でもトップクラスのアイスホッケー先進国であるスウェーデンで活躍するため、そしてアメリカのマイナーリーグに比べスウェーデンのトップリーグでプレイした方が、より収入面でのメリットが大きかったからです。そしてスウェーデンでプレーした後、少しの期間をスロバキアとデンマークで過ごし、その後日本に来ました。

ーースウェーデンやアメリカに比べると、日本はまだまだアイスホッケー後進国です。それでも日本でプレーすることを決めた理由は?

実はそれこそが、日本に来ることを決めた理由でもあります。スウェーデンやアメリカでは、全体のレベルがとても高い環境の中でプレーしてきました。だから今度は自分がチーム内で1番のプレイヤーになって、チームを支えたり全体のレベルを上げたりすることに尽力できる場所でプレーしたいと考えていたんです。そしてちょうど同じ頃、横浜GRITSも同様にそういった選手を探していました。

ーー横浜GRITSにはオファーを受けて入団したのですか?

当初はヨーロッパのチームに入るつもりで代理人にチームを探してもらっていました。そんな時、大学時代のチームメイトであるMatt Nuttl(マット・ナトル)が、以前自分が所属していたチームとして横浜GRITSのことを教えてくれたんです。彼に「もし興味があるなら横浜GRITSの御子柴さんを紹介するよ」と言われたことをきっかけに、入団の話が進み始めました。実は日本でアイスホッケーが行われていることすら最初は知りませんでしたし、横浜GRITSについてもマットが所属していたという話だけは聞いていましたが、どんなチームなのかまったく分かっていませんでした。だけどマットが横浜GRITSの良さや「君ならこんな形で活躍できるよ」といろいろ具体的なアドバイスをくれたことが、入団の後押しになったんです。彼は僕にとってのエージェントとしての役割を務めてくれました。

ーーそして2022年に来日し、横浜GRITSに入団。日本で実際にプレーし始めた当初、それまでいた国とのレベル差が気になったりギャップを感じたりすることはありませんでしたか?

「そもそもの競技レベルがアメリカやカナダ、スウェーデンとは違う」というのは、大前提としてあります。だけど、その中でも日本のアイスホッケープレーヤーたちはモチベーションを高く持って、少しでもこの競技を盛り上げようと頑張っているので、そういった面に対してはとても感心しました。ティム(横浜GRITS#40 / Tim Henriksson)も自身のインタビュー(※)で話していたように、日本と強豪国では環境がまったく違います。強豪国では常にアイスホッケーができる環境下で練習するので競技レベルを挙げられるチャンスがたくさんありますが、日本はまだまだ練習環境が不足しているように感じます。日本において、世界に知られる選手を擁するスポーツは野球やサッカーですよね。アメリカではそれがアイスホッケーなんです。大谷翔平が子供たちにグローブを配っていたように、アメリカでは有名選手がアイスホッケーのスティックをプレゼントしたりしている。そういった環境の差は、結果として実力差にも繋がっていくのではないでしょうか。

ティム・ヘンリックソン選手のインタビューはこちら

ーー日本がアイスホッケーのレベルをもっと上げていくために、環境以外にはどういった部分を強化していくべきだと思いますか?

プロフェッショナルとしてもっと練習しなくてはいけません。トップリーグの試合を観戦することは時差などで難しいかもしれませんが、観戦するだけでもレベルが上がる部分はあるんじゃないでしょうか。

ーー今年、横浜GRITSでのチームメイトだった平野選手がアメリカのアイスホッケーリーグに挑戦するべく、渡米されました。チームメイトとして共にプレーした経験があると同時に、アメリカのアイスホッケーリーグをよく知っているアレックス選手から見て、その挑戦についてどう感じていますか。

彼の挑戦はとても良いことだと思います。平野選手は日本のみならず、アジアのベストプレイヤーとも言える選手ですので、アメリカで頑張ろうとチャレンジすることは本当に素晴らしい。僕自身もアメリカリーグでのプレーを経験してきて、移籍や常に変わっていく契約の中でプレーを続けていくのはとても大変なことでした。彼は学生時代から海外への挑戦をずっと続けていますよね。そのこと自体を、僕はとてもリスペクトしています。ただ、彼は今年29歳です。素晴らしいチャレンジですが、トップリーグであればあるほど10代の選手も含め若い世代の良い選手がたくさん出てくるので、その中でプレーしていくことの難しさを感じる場面はこれからさらに増えてくるのではないかとも思います。また、日本の場合は契約満了までの間に当初交わした契約内容が変わるようなことはほぼありませんが、アメリカではチーム枠が20人だとするとその後に100人以上のバックアッププレイヤーが存在するため、常にクビになるかもしれないという可能性がある中でプレーしています。だから選手としての心境は日本と向こうでは全然違いますね。日本の方が少し安心してプレーできるように思います。



怪我に見舞われプレーできなかった8ヶ月。困難を乗り越えられた理由は「自らを律する力」



ーーアレックス選手は、これまで大きな挫折を経験したことはありますか?その壁はどのようにして乗り越えてきたのでしょうか。

これまでのキャリアの中で最も苦しい経験は、大きな怪我をした時。最長で8ヶ月もの間、アイスホッケーをプレーすることができませんでした。当時は母にも「辞めてもいいんだよ」と声を掛けられましたが、僕はそういった状況の中であっても、一度たりともアイスホッケーを辞めようと思ったことはありません。常に「いつかトップリーグでプレーしてやる」という気持ちでやってきましたし、「ここで頑張ることができなければ次のステップに進むことができたとしてもきっと頑張れない」と自分に言い聞かせることで、モチベーションをキープしてきました。困難を乗り越えられたのは、「自らを律する力」を持ち続けられたからです。

ーー「自らを律する力」はアレックス選手のキャリア形成に大きく影響していると思いますか?

そうですね。僕はアイスホッケーのプロになるまでに、通常よりもかなりの時間を要しています。アメリカでプロ選手になる場合、高校を卒業していろいろな大学からスカウトされ進学して……という道を歩むことが多いのですが、僕は当時実力的にまだまだだと評価され、大学進学の際にあまりスカウトの声がかかりませんでした。そのため、僕のように高校卒業後から大学に入学するまでの間に声がかからなかった選手たちがプレーするジュニアリーグで2年程プレーして、スカウトの声が掛かるのを待ったんです。「ここで頑張らなくては声が掛からない」と思いながらずっとプレーしていたので、メンタル面もかなり強化されましたし、その状況にあっても自分を律し続けることができたからこそプロになることができ、その後のキャリアを築くこともできたのだと思っています。

ーー日本へ渡ることもキャリアアップの一環だったかと思うのですが、アレックス選手が日本でプレーすると告げた時、ご家族の反応はいかがでしたか。

ショックを受けていましたね。ニュージャージー州と日本はとても遠いので、物理的な距離ができてしまうことを寂しく感じたようです。

ーー来日後、ご家族が日本にいらっしゃったことは?

実はちょうど1週間前に妹が会いにきてくれたところなんです。今年のクリスマスには母も初めて来日するので、とても楽しみにしています。

ーーアレックス選手自身も、日本に来たばかりの頃は母国とのさまざまな違いを感じて大変だったのではないでしょうか。

車線やハンドルがすべて逆なので、車の運転に慣れるまでが大変でしたね。それに、日本人はすごく親切で礼儀正しいのですが、それゆえのマナーがたくさんあります。僕の住んでいたニューヨークやニュージャージーには無いお辞儀や名刺交換など、いろいろなことを覚えなくてはならなかったのも大変でした。あと、来たばかりの頃は日本の「先輩・後輩」関係にも戸惑いました。ルーキーの選手たちは毎回練習後の片付けを率先して行ってくれるのですが、それを僕が手伝おうとしたら「やらなくていい」と言われて。僕としては「みんなでやればいいじゃないか」と思いましたが、きっとこれまでチームとして伝統的に続けてきたやり方なんだろうと思ったので、今はその伝統に従っています。でも、カルチャーショックとまではいきませんが、少し驚きましたね。

ーーこれまで過ごしてきた環境との違いを感じる場面は、他にも多々ありそうですね。日本人選手とコミュニケーションを取るうえで意識していることはありますか?

言葉の壁があるのでコミュニケーションを取るのは大変ですが、「どういうふうに伝えればより伝わるか」をいつも工夫しています。ただ話すだけだとうまく伝わらないこともあるので、翻訳をつけてもらった映像を撮ったり、作戦ボードをうまく使ったりして、言葉の壁を超えられるよう努力しています。

(左側:アレックス・ラウター選手、右側:ティム・ヘンリックソン選手)

ーーところで、日本に来たのは2年前とのことですが、いちばん最初に遊びに行った場所を覚えていますか?

新横浜の焼肉に行きました!16時間のフライトを経て日本にたどり着き、空港でピックアップしてもらったその足で行ったのが新横浜の焼肉屋さんだったんです。本当においしかった。

ーープロフィールの特技欄に「料理が得意」とありましたが、自炊もしているのですか?

料理はよくしますよ。チキンが入ったホワイトクリームのフェットチーネパスタがいちばんの得意料理です。

ーー横浜での生活にも慣れた今、外食も楽しんでいるのでしょうか。

新横浜のYI-CYANG(アスリート中華ダイニングYI-CHANG / https://www.gisho.co.jp/sp/)というお店がお気に入りなんです。日頃から横浜GRITSを応援してくださっている中華料理店なのですが、チームメイトのティムと一緒に行ったこともあるし、それ以外でも本当にしょっちゅう通っています。お店には僕の写真も飾ってくれているんですよ(笑)。この間妹が来日した時も連れて行ったのですが「これまで食べた中華料理の中でいちばん美味しい!」と言っていました。



応援とは、「It takes a village」



ーー来日からしばらく経ち、アレックス選手は現在横浜GRITSで2シーズン目を迎えています。日本で達成したい目標は見つかりましたか?

僕にとって日本での1番の思い出は、去年の最終戦なんです。菊池秀治さん(元・横浜GRITS / DF)と氏橋祐太さん(元・横浜GRITS / FW)の引退試合であり、ルーキーゴールキーパーである石田選手(横浜GRITS  #32 / 石田龍之進)にとっては初めて勝利を手にした試合でもありました。満員の会場の中で2試合の勝利を手にすることができ、僕にとってもすごく大きな1日となりました。だから現在の氷上での目標は、横浜GRITSで日本一になることです。実は今横浜GRITSは12連敗中(※2023年11月取材日時点)、これは僕自身のキャリアの中でも初めての経験です。それまではジュニアリーグで8連敗したのが最長の連敗記録だったかな(笑)。アイスホッケーは結果がすべてと言われるスポーツですが、僕達はポジティブな気持ちで、結果が出るまでやり続けなくてはいけないと考えています。大変な時期ではありますが、頑張り続けたいと思っています。また、氷を降りたところでの目標としては、アイスホッケーという競技を少しでも世の中に広めていきたいと考えています。横浜で暮らしていても横浜GRITSを知らない人はまだまだたくさんいると思うので、そういった方に知ってもらえるように活動していきたいです。

ーー横浜GRITSや自身を応援してくれているファンに対して、「特にここを見てほしい」と思うポイントはありますか?

僕はチームメイトにゴールさせることが好きなんです。ハンドリングを駆使してチームメイトの得点をサポートすることが自分の強みだと思っているので、ファンの方にはぜひそこに注目してほしいですね。ファンの方の中には、僕に対して「もっとシュートを打ってほしい」と感じる方もいるかもしれません。だけど、僕がそういった思いを持ってプレーしているということを知って貰えると嬉しいです。

ーー自分の成績を伸ばすだけでなく、チームメイトに得点してもらいたいという気持ちはいつ頃から芽生えてきたものなのでしょうか。

これは来日前からずっと心にある思いです。僕としては、1人のプレーヤーだけが得点を重ねるよりも、パスを繋いで、チームメイトみんなで連携して得点することが好ましいと考えています。

ーーファンの声は、アレックス選手にとっての力になっていますか?

今の横浜GRITSはまだアリーナの席を半分埋められるくらいの小さな規模ですが、彼らはみんなとても暖かく、たとえアウェイゲームであっても常に観にきて応援してくれます。思うような結果が出せずファンの方々にもフラストレーションを溜めさせてしまうようなゲームも多いですが、僕達が全力でプレーしている姿を結果を問わず見に来続けてくれることは、本当にありがたく思っています。

横浜GRITSスタッフ:実はアレックス、今ユニフォームの売上ランキングでも3位なんです。これまで海外から入団してくれた選手の中でもここまでグッズが売れる選手はなかなかいませんでしたし、何より会場に足を運んでいる子供たちの多くがアレックスの大ファンなんですよ。

子供たちに対しては、いつも「笑顔になってもらいたい」と思いながら接しています。日本語が話せないことについては仕方がないので、じゃあ何で繋がれるかと考えたら、それはやっぱり笑顔だと思うんです。少しでも横浜GRITSを、そしてアイスホッケーを好きになってほしいという思いが伝わるよう心がけています。

ーー最後に、アレックス選手にとって「応援」とは?

「応援」という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、私がホッケーをするために家族がどれだけ犠牲を払ってきてくれたかということです。彼らのサポートがなければ、私がプロホッケー選手になることはできなかったでしょう。しかし、その感謝は家族だけに留まりません。「応援」という言葉は、「It takes a village」という英語のことわざを思い起こさせます。これは、「特別な何かを作るにはひとりだけではなく、多くの人々の協力が必要だ」ということを意味しています。今日の私がここにいるのは、多くの人々のサポートがあったからです。私のホッケーキャリアは、今まで滞在してきた多くの国々、家族、選手たち、子供たち、そしてファンの方々を通じて広がっています。そのすべての応援が、私が困難に直面した時期にも進み続ける原動力となりました。多くの栄光や喜びを分かち合うためにも、私にとって「応援」は必要なものなのです。