SPORTIST STORY
ICE HOCKEY PLAYER
平野裕志朗
YUSHIROH HIRANO
STORY

氷上に描く終わりのない夢、アイスホッケーとともに生きる

今季日本アイスホッケー界で起きた問題をご存じの読者はどれだけいるだろうか。給与遅配などの問題により選手たちが所属チームを離脱し新チームへと移籍したところ、新チームはアジアリーグの加盟申請に間に合わず来季以降に審査を行うこととなり、元の所属チームは選手不足で不参加に。結果として移籍した選手たちは今期プレーの場を失う可能性が高くなってしまった。そんな混乱の最中にあるアイスホッケー界で、自身の思いを「声明」として掲げたのが平野裕志朗だ。日本代表としてプレーしてきた彼はすでに今秋から再び海外リーグへ挑戦することが決まっているが、「だからと言って他人事として無視することはできない」と明確な意思を顕した。事なかれ主義じゃ世界は変えられない。現状維持に甘んじることなく自身の夢を磨き続けながらも、日本アイスホッケー界をより良い方へと導くため尽力する彼に、今の想いを聞いた。

Interview / SPORTIST
Text / Remi Matsunaga
Photo / Naoto Shimada

Interview date / 2023.09.28



アイスホッケー=マイナースポーツという意識を変えたいと願っていた少年時代



ーー平野さんは苫小牧市の出身だそうですが、どんな子供時代を過ごしてこられたのでしょうか。

とにかくホッケーが大好きな子供でした。冬になると通っていた小学校にアイスリンクが張られるので、毎朝登校前に寄っては先生に怒られていました(笑)。

ーーアイスホッケーは子供の頃から身近な存在だったのですね。

ウィンタースポーツが盛んな地域でしたし、僕の場合は父と叔父がプロアイスホッケー選手だったこともあって、物心ついた頃にはアイスホッケーを楽しんでいました。6歳年上の兄とともに、遊びの中で周りの大人たちに教えてもらっていくうち、いつの間にか始めていたような感じです。父のプレーは幼かったからかあまり覚えていなくて、どちらかというと父よりも兄から受けた影響の方が大きいかもしれません。

ーーアイスホッケー以外のスポーツは習っていましたか?

小学校までは野球と水泳を習っていました。スポーツ全般が好きだったし、負けず嫌いな性格なので周りの友達に負けたくなくて、一度でも負けたらその後めちゃくちゃ練習してやり返しに行くようなタイプでしたね。子供の頃にさまざまな競技に触れてきたことが、今に繋がっているように思います。

ーー数多くの競技に触れつつも最終的にアイスホッケーを選んだ理由は?

小さな頃からやっていたからというのも理由のひとつですが、やっぱり「アイスホッケー=マイナースポーツ」という状況を変えたいと思う気持ちが強かったのかな。スポーツは観戦するのも好きで、子供の頃は野球観戦に連れて行ってもらうこともあったのですが、盛り上がっている会場を見ながら「いずれホッケーも同じように盛り上がって欲しいな」と思っていました。同時に、そこで自分がプレーしている姿をイメージしながら観戦していました。

ーー若い頃から海外に挑戦されているのも、その思いがベースにあるからなのでしょうか。

それはあると思います。

ーー海外に初めて出られたのは高校卒業後すぐだったそうですね。

初めてアイスホッケーで海外に出た国はスウェーデンだったのですが、現地に着いて1週間くらいWi-Fiが繋がらなくて、誰とも連絡が取れなかったんですよ。チームが持っている一軒家に選手4人で住んでいたのですが、その当時は英語もほとんどできないし、スウェーデン語もまったくわからなかったので、誰とも話せず。辛すぎて1週間ずっと泣いていました(笑)。

一同:(笑)

ーーそんな不安な状況から始まった海外生活ですが、どのくらいの期間で馴染めましたか?

どうだったかな……確かシーズン後半には楽しんでやれていたと思います。もともと環境に順応していく能力は高い方なのでどのチームに行ってもシーズン後半には楽しめるようになっているのですが、やっぱりいちばん最初にチームへ合流する時は少し固くなってしまいますね。それは今も変わっていないです。

ーープロ入りした時、何か特別な思いはありましたか。

自分の中でプロになるのはあたりまえという意識だったので、特別プロを目指してやってきたわけではなかったんです。だから当時も特に達成感などはありませんでした。それは今も同じで、まだ満たされてはいないんですよね。プロとしてプレーしていることも、ただ自分の階段を登っているだけという感覚です。

ーーアイスホッケーは練習や道具など続けていくうえでの金銭的な負担が比較的大きい競技というイメージです。プロ入りは支援者の方々も喜んでくださったのではないでしょうか。

そうですね、たくさんの方に支えられてプレーできています。小さな頃は両親が満足な環境を与えてくれたので、それに対しても本当に感謝していますし、プロになってからはチームが防具は全部用意してくれています。活動資金についても、本当にたくさんの方にサポートしていただいています。スポンサーはサン・クロレラを始め現在は5社。個人でサポートしてくださっている方もたくさんいます。この方々がいなければ今の自分はいないので恩返しをしたいといつも思っているのですが、でもその方々は恩返しをして欲しいと思って支援してくださっているわけでは無いんですよね。たくさんの方々に支援してもらったり受け取ったりしてきたことを、僕も下の世代に繋げていきたいです。恩送りじゃないですけど、それが自分の役目なのかなとも考えています。

ーー平野さんはアイスホッケー以外でも、アパレルなどさまざまな活動に取り組んでいらっしゃいますよね。

アパレルについてはもともと服が好きで自分のブランドをやりたいと思っていたところ、横浜GRITS1年目の時に臼井代表が「裕志朗のグッズを作ったら?」と言ってくださったので、「じゃあ自分のブランドを作ってもいいですか?」と伝えてスタートさせました。そこでプレーヤーとしてだけじゃなく、いろんなことを自分でやっていきたいと思ったので会社を作ったんです。選手としての活動だけじゃなく、経営なども含めたいろいろなことを自分でやっていくのはアイスホッケー界を変えていくことにも繋がると思いますし、僕自身も人として成長できます。今できることは全部全力でやってみたいなと考えています。

ーーアパレルはやっていて楽しいですか?

今はまだそこまで凝ったものを作れているわけではありませんが、生地の選定やデザインのテイストを考えたり、着てもらう人のイメージや好まれる服の形を考えたりすることはとても楽しいです。最初は自分の着たいものや好きなものを作ろうとしていましたが、その視点もやっていくうちに変わってきました。アパレルって自分が気に入るものだけを作るだけじゃなく、ちゃんとマーケット内で受け入れられるものを作らなくちゃいけませんよね。手に取ってくれる人のことを考えながら作っていくことは、すごく面白いし勉強になります。

ーーちなみに、平野さんのようにアイスホッケー以外の取り組みを行っている選手は、他にもいらっしゃるのでしょうか。

他のスポーツに比べると、まだ選手活動以外の活動を行っている選手は少ないかもしれませんね。もっともっとみんながいろんなことをやってもいいのになと思います。

ーーそういった選手が増えると、人々がアイスホッケーという競技に出会う機会も増えていきそうですね。また、アパレル以外でも、平野さんは子供たちに向けたイベントなども行っていますよね。

日本にいられる期間が少ないので短い期間での活動ではありますが、5月から9月末のオフシーズン中に、日本各地をまわって子供たちにアイスホッケーを教えています。現役中の今しか伝えられないことってきっとあると思いますし、日本のホッケー界にとっても必要なことだと思うので、今後も続けていきたいです。



大事にしているのは「終わりのない夢」を持ち続けること



ーー平野さんは「夢」というものをどのように捉えているのでしょうか。

「自分がどんな人生を生きたいか」が、すべて自身の夢に関わってくるんじゃないかな。そして、大きな夢も小さな夢も、いくつあってもいいと思うんですよ。ちなみに僕が大事にしているのは「終わりのない夢」です。例えば過去の僕はアメリカでプレーすることを夢見ていたけど、実際に行ってプレーして、そこで満足していたら、夢が叶った瞬間に僕の選手人生は終わりを迎えちゃっていたと思うんですよね。でもそこから「次はNHLに行く」「NHLで何年もプレーし続ける」みたいな感じで次の夢が生まれて、さらに「加入したチームでスコアラーになる」「オリンピックに出る」「オリンピックでメダルを取る」といったように、どんどん新たな夢へと繋がっていくことが大事なのかなって。夢に終わりを作っちゃいけないと思っているんです。もちろんそんなトントン拍子に上がっていけるほど簡単な世界ではありませんが、でも常に夢を持って先を目指すことは自由だと思う。僕の中で「夢」はそういう捉え方です。

ーー時には夢を持ち続けることが難しくなるような逆境に遭遇することもあるかと思うのですが、そういった状況に陥ることはありませんでしたか?

タイムリーな話なのですが、まさに去年は苦難の1年でしたね。AHLのチームに所属していたのですが、全然試合に出られなかったんです。たまたまNHLで活動していた選手が組織の事情で一気に3人くらい降格してきて、それによって自分のプレータイムを獲得できなくなってしまいました。ホッケー選手として試合に出られないというのは、会社に行っているのに仕事をやらせてもらえないようなもので、やっぱりすごく辛いんですよ。その気持ちのまま過ごした2ヶ月はとても苦しかったし、今でも忘れられないです。でもこれは挫折じゃなくて。この状況になった時、「27歳になって、まだこんな経験ができるんだ」って思ったんですよね。もちろん若い頃にも同じような経験をしたことはありましたが、今の年齢になってこの状況を経験できるということは、「ここからまだ成長させてもらえる」と感じたんです。どんな経験も全部先に繋がっていると思うので、だから全部挫折ではないんですよね。

ーー苦難の時期はどのように乗り越えたのですか?

僕は性格的に人に頼るよりも、自分でどうにか乗り越えようと溜め込むタイプなんです。だから「考え方ひとつで変わるはずだ」、「1年後にまったく同じことで悩んでいる人はいないから時間が解決する」って自分で自分に言い聞かせているようなところはありました。

ーー平野さんは「絶対勝つ」と考えるのか、それとも「絶対に負けない」と考えるのか。自身はどちらのタイプだと思いますか?

僕は「絶対に勝つ」と考えるタイプですね。言葉の選び方にしても、「負けたくない」じゃなくて「負けない」って言い切りたいんです。言い切れないってことは、どこかにちょっと不安が残っているということなのかなって思っちゃうから。たとえできなくてもいいから、「やる」と言葉に出すことが大事だと考えます。

ーー日本国内のアイスホッケー選手は、ホッケー以外の仕事をしながらプレーしている方も多いと思います。過去、平野さんが一緒にプレーしてきた方々にもそういった選手は多かったと思うのですが、この現状に思うことはありますか?

もちろん全員の選手ではないですが、すごくイヤな奴になって言ってしまえば、「覚悟が足りない」。仕事とホッケーを両立しているのはもちろん凄いことだと思うのですが、同時に二足の草鞋であることや仕事を、できないことの言い訳に使っているなと感じることもありました。僕にとってそれは絶対にあってはならないことなのですが、でも僕がそこに言及すると相手にはちょっと引かれてしまうし、僕自身もその言葉が響かなかった時に「言っても意味がないんだな」と思ってしまう。一緒にやっていく中で、ホッケーに対するマインドやひとつのプレーに対する気持ち、そういう細かい部分のひとつひとつに意識の差を感じることは正直ありましたね。



アイスホッケー界の問題を受け、悩みに悩んで書いた「声明」



ーー選手個々の問題な場合もありますが、環境やリーグなど個人ではどうしようもない部分に原因が由来していることもありますよね。日本アイスホッケー界は今も混沌とした状況が続いていますが、混乱の最中に平野さんは自身の思いを「声明」として発表しました。選手個人がアクションを起こしたことやその内容について、さまざまな反響があったと思うのですが、あの声明を出すにあたってどのような思いを抱かれていたのでしょうか。

正直、今回の問題は見て見ぬふりもできたと思うんです。でもそこで他人事にしてしまったら、自分が何も触れなければ、良くない状況のまま終わってしまう。明日は我が身じゃないですけど、誰かが苦しんでいる時に「自分には関係ない」というスタイルを決め込むのはやっぱり違うと思うし、できないので。僕自身も辛い時期をたくさんの人に支えてもらって今があるから、自分がひとりの選手として意見を発信できる立場である以上、言葉を発することで日本のアイスホッケー界が変わっていくひとつの力になれるのであれば動かなくちゃダメだなと思って発表したのがあの声明です。自分の思いを的確に伝えるにはどういう文章にすればいいのか、本当に悩みに悩んで書きました。

ーー確固たる思いがあるとは言え、いざ意見を表明するとなるとすごく怖かったんじゃないかなと思うんです。

そうですね、でもどれだけ敵を作ったとしても自分の意見には自信を持っているし、どうなったとしてもそれも人生なので。誰かに何か言われたとしてもそれは結果で見返してやればいいし、最後に「結局行動したことが正解だったな」と自分や周りが思えればそれでいいのかなと。だから、何かに対してのきっかけになれるような行動はこれからもやっていきたいなと思っています。

ーー平野さんは、現状の日本アイスホッケー界の課題はどこにあると考えていますか?

どこを目指していくのかを具体的に共有できていないのが、1番大きな課題だと思います。例えばバスケットボールだと「オリンピックに出場する」という目標を立てたうえで数年単位の努力を積み重ねて、結果オリンピック出場を掴み取りましたよね。しかも海外でプレーしている選手は決して多くない編成の中、日本人選手の力を固めて結果を出したのは本当にすごいことだと思います。一方で、国内にそういった素晴らしい見本がたくさんあるのに、現状維持のままで停滞しているのが今のアイスホッケー界だと感じています。だけどそれに気付いている人自体も少ないんですよね。この現状を変えるには、ひとつしっかりとした目標を作って、そのうえでプレーする側と支える側がそれぞれ自分にできることを考えていく必要があると思うのですが、現状は目標を共有することもできていないし、プレーヤーと支える側を誰が繋ぐのかも分からない状態です。オリンピックや世界大会は国と国との戦いなのに、自国内でひとつにまとまることができていない。これは絶対に今変えなくてはならないことだと思います。もちろん人と人なので、行動したからと言ってすべてがスムーズにまとまるとは思わないのですが、それでも行動を起こす人が少しずつでも増えていけば、徐々に良い方へと変わっていくはずです。

ーー過去に所属してきたチームでのチームメイトには外国籍の選手もいらっしゃったと思うのですが、彼らのマインドはまた違うものなのでしょうか。

横浜GRITSでは外国籍のチームメイトが2人いましたが、そのうちの1人は僕がアメリカでプロ1年目の時にルームメイトだった選手なんですよ。だからとても仲が良いですし、「こういう部分が改善されればもっと良くなっていくはずだ」とか、「もっと海外に出ていく選手が増えれば日本のアイスホッケーも面白くなっていく」など、前向きな意見を日々多く交わしています。ふたりとも日本や日本のアイスホッケーを好きだからこそ、変わってほしいと思ってくれているんですよ。アレックス(横浜GRITS#9・ALEX RAUTER)は声明を出した時も「自分に何かできることはないか」と連絡をくれました。日本と海外の両方を知っているからこそ、考え方や環境の違いについて話し合うことは多いですね。

ーー平野さんが過去在籍してきた北米のアイスホッケー界と日本で、明らかに違うと感じるのはどんなところですか?

子供たちに夢を見させられるホッケー界であるかどうか、が大きな違いだと思います。トップでプレーし続けることはとても大変なことですが、そこに達することで得られる価値をちゃんと提示できる日本アイスホッケー界であってほしい。選手自身もそのワンプレーに人生を掛けてやれていると、すべての選手が堂々と言える意識で取り組んでいければと思います。

ーーアイスホッケー界の今後について、日本人選手同士で話すことはありますか?

自分たちに何ができるのかを話し合うことはあります。ただ、良くないと感じることについて話はするけど、やっぱり周りを気にしたり自分の立場を考えたりして実際に行動するところまで進める人は少ないんです。選手って本来はプレーに集中するべき存在だと思うので、それができない環境というのはあまり良いものではないと思うのですが、それでも現状に対して何らかのアクションを取らなければ変わることはない。これも課題のひとつなのかなと感じています。



応援とは、「選択肢」



ーー平野選手はこの取材の翌週には再びAHLでプレーするため日本を発つと伺っています。何度も挑戦を続けることができる、その原動力はどこにあるのでしょうか。

やっぱりいちばんの原動力は、日本のアイスホッケー界を変えたいという思いです。僕が結果を残すことでこの世界を変えられるはずだという思いが強いので、辞められないですよね。この思いがあるからこそ、今現役でプレーしている選手として日本を背負っているという意識も自然と芽生えてきますし、挑戦を続けることが自分にとっての使命だとも思っています。僕は物事って、やり続けることで価値が出てくると思っているんです。もちろん結果が出ないこともありますが、それは自分の力だけでコントロールできるものでは無いですし。自分が目指すものにいかに近付けるか、準備したり努力したりしている過程も楽しいんですよね。目指す形が明確にあるからこそ、挑戦し続けることができているのかもしれないです。

ーー平野さんにとって、「応援」とは?

選択肢、ですかね。応援があるからこそ自分だけでは気がつかないところに気付くことができて、その結果、自分の選択肢が増えていくと思うんです。もし今自分が向かっている先に嫌なことやうまくいかないことがあったとしても、応援してくれる人がいると思い出すことで、「この方法以外にも違うアプローチの仕方があるかもしれない」と別の選択肢を考えたり選び直したりすることができる。大きな支えであると同時に、僕自身が選ぶ選択肢を増やしてくれる、自分自身の分身のような存在と言ってもいいんじゃないかな。たくさんの応援を受けて「これだけ支えられているんだ」と実感するたび、気付きを得るたびに、都度新しい自分が生まれているような感覚です。